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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

ゲームが「続く」こと。「読み継がれる」こと。
この日記、書いたのは実は2018/9/25だ。
一応編集画面のスクショは遺しておく。価値があるかは知らんが。

たまたまブログ整理していて見かけて、「ああ、ほとんど書き終わってるんじゃん」と思ったのだけれども、あの当時は、ネットに上げる事が出来なかった。
作り手の、痛いほどの情熱と、焦がれるような想いに、ひどく共鳴してしまっていたから。
この話題のメインたるソースを私の手で遺すことで、未来が動かせないものになってしまいそうで怖かったから。

でも、ふと、(信を置くには難しい媒体ではあるが)あるものを見かけて、やっぱりネットに私の思った事を残しておきたいと思ったので、敢えて再浮上させてみることにした。
作ったものは、あのときの自分の気持ちは、やっぱり残したい。
未来がどうなるかわからないけれど。

この下に綴った文章は2018/9/25当時に書いた通りのそのまま。改変はしていない。
あの当時の、偽らざる気持ち、そのまま。

あの世界でもっと遊びたい。
あの世界を知る人が、もっと増えたらいい。
彼らの旅路の果てを、共に抱きたい。



イーラが出たこの週末、バテン好きにとっては、大嵐が吹き荒れていたように思う。シタン広場と違って、ファンとしては幸せになれない話題だったからねぇ。無理もなや。
それ以上に、作り手ご本人方々の無念たるや、想像するに余りありますわ。

まぁモノリスがナムコ(バンナム)から任天堂に移籍した時点で、私にとっては「バテン復活希望~!」というのは「夢を語るだけならタダ」的なところはあったし、この広いネットの空の下にいる元精霊さんたちと素敵な物語世界の余韻を分かち合えればそれだけでも嬉しい、というところはあったので、今回の話も「ああ、そうだろうなぁ」くらいにはドライに捉えていたりする。

とはいえ、「やっぱり準備してくれていたんだ、嬉しい」という気持ちも半分。

モノリスのプリプロダクションの徹底に関しては自分自身でもレポった経験があるだけに――そしてそれが2000年代前半当時は「他のゲーム会社ではあまり行われているものではない」ものであるだけに――どれだけ思い入れを費やしてもボツを喰らってしまう可能性があるということはなんとなく知っていたから、自分はドライでいられるところはあるかもしれないけど。
モノリスと任天堂やナムコ(バンナム)は、漫画家と出版社の関係に近くて、あくまで雇われクリエイター集団でしかない、というのも、その時に腑に落ちていたように思う。
どんなゲームでもそうなのだろうけど、浮かんだ作品のイメージを世界を覆い尽くさんばかりに描いて描いて描いて描いて、いくつもの試行錯誤の上に咲いた花だからこそ、あれだけ楽しませてもらえているというのは、特にモノリスの作品に関しては、常に頭の片隅にはあったような気がする。むしろ、そのことを知ってから、いろいろなゲームを見る時の目線が明らかに自分の中で変わった。
(まぁその「描いて描いて」の課程でサダルスウドにしろ巨神&機神にしろ立体物作っちゃえる人ってそう多くない気はするけどね(笑)。ていうかアレ作ってる間って絶対楽しかったと思うんだー。それがスポンサー側にも伝わったからこそ、実際の作品としてこちらとしては楽しませてもらえたわけでして)

そもそもバテン2自体が、本来の販売元のナムコからではなく、任天堂をパプリッシャー(刷り&販売担当)として、なんとか世に出られたようなところあるしね。
もうWiiの足音がじわじわ近づいていたあの時期に。
Wiiに互換性があるというプラス要素はあれど、やっぱり沈みゆくハードで出た事実は重かったと思う。きちんと追いかけていないけれども、雑誌での広告アピールも「パブリッシャーがナムコ時代」とは比べものにならなかったんじゃなかろうか。
今でこそ一定数いるけど、あの当時は「モノリスだから買う」層は、そう多くはなかっただろうし。加藤氏脚本なら、という層はいたかもしれないが、脚本がモノリス内部スタッフという話しか、当時の私は知らなかった。後にゼノブレシリーズでディレクターを務める小島幸氏という事実は、後になってから気付いたくらいだったしね。(ワイズマンとか心だけの存在とか、キーワードを並べてみると、確かにちょっとゼノのかほりがする(かほり何))

しかし、そう考えてみるとつくづく思うのは話の良いRPGの「良さ」を体験した者がいかに語るか、の難しさ だ。

バテン1のネタバレなんて、うっかり言おうものなら、その場でスフォルツァンドをFinal Straight Sunriseで叩き込まれた挙げ句、ホロホロ鳥についばまれるの刑の末、ウニパンたらふく食わすの刑にされても文句は言えない位の作品一番のキモだもんなぁ。でもそここそが、多分ストーリーにぎゅっと心を鷲づかみにされる一番の瞬間だと思うので、「バテンってどこがいいの?」と聞かれた時、我々精霊経験者は、この一番のエモポイントをその場で伝えられない事に関して「うがああああああ!」と心で叫びながら思わずウニパンを投げつける訳ですよ。
(注:スフォルツァンドは精霊数9がないのでサンライズできません)

……まぁね、ネタバレ無しで行くなら、ご飯炊けるようになった辺りとか最高ですよ? ご飯を炊ける=4枚出しが出来る→4枚ストレートだとダメージ40%程度増しで、与ダメージが目に見えて高くなる あたりなんで、コンボ決めるのがじわじわっと面白くなってきた頃合いだから。とはいえ、このじわじわ感、キュウリとハチミツでメロン作ってたりとか、回復用に入れておいたバナナが気がついたら黒くなってて敵に投げるしか無くなってたとかの過程を経てからでないと、多分実感は出来ないと思うし、実は実演して見せても反応が薄い(経験談) 。とはいえ、試しにコントローラ渡しても「え?あれ?あれ?」ってなるだけで、結局「このゲーム難しいね」になりかねないのである。
このゲームに育てられた挙げ句に出来る事が広がった幸せというのは、つくづくゲーム頑張ってやってないとわからないんだよなぁ。

とはいえ。

ファミコンミニが出た時は好き勝手言っていたりもするが撤回するつもりはないぞ。
何らかの形で復刻が行われて、当時精霊になった私達と、新たに精霊になった人達とで、あの作品についてワイワイ楽しめる機会が増える未来は、いつまでも望んでいるから。
ゲームは、RPGは、ただの無聊を慰めるだけのツールじゃない。本のように、いつでも本棚から取り出して、思い出に浸ったり、新たな発見をしたりすることの出来る、「作品」だって思うから。




しかしこの話、海外の任天堂ファンサイト?でも取り上げられてしまう位というのは、個人的にはモノリスの作るものの良さがかなり海外に浸透してきているので、ちょっと嬉しいことだったりもする。
(とはいえ、記事タイトルはちょっと原文の意味からズレてるんじゃないかという気がするので、煽り記事タイトルって世界共通なんだなあと(- -;)な目で見てしまう私)





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