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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

15年経ったから、今こそシオンの物語に潜りたい。
EP3、15周年おめでとりです!
もう今度は間違えないぞこんちくしょう! (←EP2の17周年を大ポカしたのまだ引きずってる)
ていうか、作品への思い入れこじらせすぎてるこの十数年と、ゼノブレ3作(+つなみら)も出まくって「ゼノが忙しくてゼノが出来ないじゃないか!なんてことしてくれるんですか!!」という幸せな日々とが徐々に乖離してるのを感じます。引きずる必要はあるのかと問うと、そんな事誰も望んでないとは思うのですが、やっぱり引きずってるのかなあ自分。
サーガはホント、断ち切られた枝葉の先が見えてしまうように感じてしまう作品であるがゆえに、やっぱりこじらせ続けるんでしょうね、自分。多分そんなもの幻覚なんでしょうけど。出たそのままをきちんと愛でればいいんでしょうけど。
でも、張られた伏線に想いを馳せた日々が胸に痛いから、多分自分は引きずり続けるんでしょう。執念深いですがご寛恕をば。

そんなこんなで今回も辛口です。カレーで言うとジャワカレーの辛口くらい(具体的)。
ジャワカレー好きなんだけど、子どもが辛くて嫌がるので使えません(ショボン(´・ω・`))

*  *  *
そっか私
EP3シオンに私が納得してないのは、EP1のグノーシス襲撃時にあんなにあっさりと自分の生を見限っていたシオンが、周りに当たり散らしながらやたらに死を恐れていた事なのよね。

まぁああやって生にしがみつかないと話が進まないのでしょうがないといえばしょうがないのだけれど、EP1からの不連続性に、私はなんか納得がいかなかった。

おそらくミルチアのあの一件で、シオンは自分が生き延びている事を納得しないまでに心が壊れてしまったんじゃないかと思っている
親しかったフェブが惨たらしい死を迎え、父も母も理不尽な死を迎えた。それに守られるに値しない存在なんじゃないかという疑念を背負いながら成人を迎えたシオン。その中で、自分の探求心と安らぎを共に与えてくれる存在と言えるであろうケビンと出会えたのも束の間、彼をまた理不尽の中に喪うことになってしまった。──その結実があの「そうか、私、死ぬのね」に込められていると思っていたのね。
在るべきでない今の場所から解き放たれる ──彼女にとっての「死」はそういうものだったのではないかと思っている。
ゆえにアンドリューの消滅に何故か「嬉しい」という感情を得てしまう。自身でそれを驚いてもいるけれど、彼女にとっては現世からの解放は、心の深奥より望んでいる部分があったんじゃないだろうか。それを見抜いたアンドリューから「お前もいつかは虚無の浜辺《ここ》に来る」と予言されるほどに。


そう読んでしまうと、やはりEP3序盤からの彼女の振る舞いには納得がいかないところはあるのよねぇ。
ミッシングイヤーでの出来事は、父の所業を探求せねばならないという使命感から、人生の方向を変える決断をするだけの大きなものだったのかもしれないけれど、ただあそこで語られている内容だけでは、あくまで探求を促すだけで、彼女を生にしがみつかせるだけの根幹にはなりにくいように思う。あれだけ執着していたKOS-MOSと離れる事になってもやり遂げたいという点では随分と大きい決断だけど、それと彼女の生の哲学とは結びつかないように感じる。「知って、どうするの?」という問いをねじ伏せながら進む彼女は、知ることにしがみつくだけ。その狭隘は、問いが果たされた先までは見えていない。生きる理由としてではなく、何かに邁進するだけの、ニーチェ的に言えば「獅子」の状態なのだろう。そこと生への執着とが、話の中でどうにも結びつくようには、見えない。

私個人のニーチェ入門はこの本でした。この本の影響が多分にあるかとは思いますので、とりあえずご紹介。KOBO版もあるよ。
(それにしても表紙変わってたのねー。私持ってるのクリーム色してた旧版だわ~(in押入/掘り出し損ねた))
アベルの方舟でケビンの手を取ったのは、彼の言うことを聞けば生き延びられると言うより、自分の在るべき場所を得たいという渇望だけだったようにも感じられる。「利用されようと構わなかった」という言葉が、やはり、シオン自体の「生きたい」とは離れているように私は感じたのよね。

もしかしたら。
「生はしがみつくもの」という前提でEP3が進んでいく事に、私は違和感を覚えているのではないだろうか。
シオンはもっと「死」に親しい存在と見なしているがゆえに。

「死にたくない」そう考えるのは人として「普通」だ。
でも彼女がその「普通」でないとしたら?
──その前提をEP1の物語の端々で感じてしまったからこその違和感なのかもしれない。

だから物語の終着点である「力への意志」という言葉には、死を是認していたシオンを、生を肯定する生へと転換させる物語だったのではないかと、思ったりもするのだ。

そして、その「生への肯定」は、「ゼノ」が教えてくれた強く輝くメッセージ
私自身を魅入らせた物語の根幹なのではないかな、と。

神の兵器とされる事を拒んで戦ったフェイ達の物語。
全ては自らの意に運命められたと言い放つ神を斬るシュルク達の物語。
人智を超えた力に怯えるよりも今を守るために「つながる未来」。

全て「今在る自分たちへの肯定」を力に最後の敵に立ち向かい、勝利する物語。

ゼノクロとゼノブレ2はまだクリアしてないので何とも言えんのですが、少なくとも2はこの路線を継承してそうだというのがTLのネタバレから薄々伝わってくるので、実際自分で見るその瞬間が楽しみで仕方ないですわ。とりあえず今7章ど真ん中。(夏休みに入るんで二ヶ月ゲーム出来ないから泣いてる)
「Story is never ending...」となるらしいXだって、それでも最後はストーリーPVのリンちゃんの台詞「私達は宇宙から消え去った方がいいのかもしれない……」を覆す物語になるんじゃないかなとアタリをつけてはいるけれど。こちらも5章終わったばっかりです(毎回押入から出して繋ぎ直しての平行プレイですからのう。ああでも空がきれいだからどこまでも駆けていきたくなるんだよ…(訳:寄り道しまくり))


閑話休題。
そんな「生への肯定」に至るまでを、きっともっとゆっくりじっくり描いていくはずだったんだろうなぁと思うと、つくづくEP3、そしてゼノサーガ全体には同情を禁じ得ません。やっぱり駆け足過ぎて、前田さん叫びっぱなしがとにかく可哀想でなぁ。ムービーモード連続再生してると、シオンずっと泣き叫んでて可哀想なんですわ、ホント。

前回のオルグイアの発見(?)から、やっぱりいろいろ気になって、EP3のムービーモードをはしょって見直したりもしたんですが、まだまだ読み解けてない事が多すぎるし、「え、その独白、どこに繋がるの?」とかなりがちだし。
そもそもケビンもヴィルヘルムも話題そらしが上手いんじゃー。おかげさまで何度も見返さないとわからないんじゃー! 「二人のアベル」ってなんじゃー!
EP3は、初プレイ当時はとにかく駆け抜けてしまったのと、駆け抜けた後、虚脱に近い状態になってしまったのもあって、やっぱり自分、読めてない部分多いなぁと改めて感じましたです、ハイ。
やっぱり再プレイちゃんとしたいなぁ。
ゲームとして、普通に面白いんだよね。
どのスタイルラインを選ぶか、とか、共闘優先か火力優先で装備を決めるか、とか。アベルの方舟のマップに見られるような、考えて動かないと上手く進めない、ただ踏破する以上の何かを見せてくるマップとか。物語を追う以外の楽しみがとにかく増えてるんだ、EP3は。
それゆえに、見逃している部分が多い。そう感じます。
クリアデータがあるから、ムービーだけで復習するのも出来なくはないけど、ゲームという時間の流れの中で、じっくり読んでいきたい。ムービーに組み込まれていない部分の、世界の景色の中から。

今はゼノが忙しくてゼノが出来ない状態ではあるけれど、今ある全ての物語を巡ったら、また改めてゼノサーガは読み解きたいという想いに変わりは無いですね。
ゼノサーガは永遠の宿題です。



……ああそうだよこれから夏休みだよ主婦ゲーム出来ないよノワァアアアアン。 ゚(゚´Д`゚)゚。

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