"Lゼノサーガ語り"カテゴリーの記事一覧
-
ゼノサーガは、EP2までは単騎で楽譜集出てるんだけど、EP3は出てないんだよね~。
それを考えると、(2013年8月という発行年を鑑みるに、おそらく「梶浦さん名義の曲!」という点でピックアップされたのだろうけれど)貴重なEP3楽曲の正規販売楽譜ですよ、コレ。
(この手のオムニバス的な楽譜集の場合、権利関係とかどうなってるのか少し気になるところではあるのですが、そもそもがJASRAC管轄の楽曲だし正規の出版社通してるんだから、それを考えるのは購入者じゃねぇ出版社じゃわい、と開き直る)
超ラクシリーズは音のルビが振ってあるので、ある程度の経験者的には見づらいことこの上ないのですが、それでもありがたいと伏し拝みながら買ってしまいました。島村楽器楽譜館楽天市場店さんありがとう!
ゲーム系楽曲集としては、前にゼノブレ2の『Counterattack』とゼノクロの『Uncontrollable』の為だけに買った【[楽譜 スコア] ピアノソロ アニメ&ゲームソング大全集 [改訂2版] 中級】と多少収録楽曲が被ってますが(Dawn of MANAとか)、気にしない方向で。
しかし、NDL検索でこの楽譜集を偶然見つけた時には思わず悲鳴出ましたね。
楽譜あったんかーい!って。
梶浦さん、ゼノサの後で、朝ドラ(花子とアン)やヒストリアBGMで注目度も上がりつつあるところに、鬼滅で完全に大ブレイクした為、ぷりんと楽譜とかで作曲者名検索掛けても鬼滅曲ばっかり出てくるようになって検索しづらくなっていたので、正直PDF販売とかこの手の後発の楽譜集は検索すら諦めておりました。すごいやNDL-OPAC。
なお、相変わらず家族には呆れられてましたね~(テヘペロ)
とりあえずポニョとピクミン愛のうたを耳コピじゃなくても弾けるようになるから許して。PR -
RPGとか、自分が好む物語は、何らかで【戦い】をテーマにしているものがとても多くて。
そういった【戦い】をモチーフとしたフィクションを送り出してくれて、今まで楽しませてもらってきた多くの書き手さん/描き手さんが、今回の事変に対してすごく苦悩しているのを、この数日だけで何度も拝見いたしました。
あんなものを描いていて良かったのか、と。
自分達は想像力が足りていなかったのでは無いか、と。
でも。
現実にはあり得なかった【戦い】を想像し、描く多くの作品があったから、私の心は守られている――この数日、そう強く思います。
多くの作品が描く悲劇を前に、心構えを教えてもらったから。
想像力を引き出してもらったから。
あんな事は在ってはならないと、改めて認識することが出来ているから。
悲劇はフィクションの中で十分で。
悲劇の先には光が待っていると、止まない雨は無いのだと、非道は在ってはならぬのだと、教えてくれた多くの作品のおかげで、私は、テレビの向こうに見えるあの光景に対して、はっきりNOを突きつける事が出来るのだと思っています。
この先、戦争をモチーフにした多くの作品が、その言葉尻や振る舞いの一部を切り取られて非難に晒されるのは想像に難くありません。
生み出される事すら躊躇される、そんな日も来るのでしょう。
でも、それらのフィクションが私達から引き出してくれる想像力、それが、きっと世界を、人を守る力を呼び起こしてくれると思うと、私は、決してその歩みを止めないでと強く願うのです。
悲劇を起こすべきでないと、悲劇に抗するにはどうすべきかと、教えてくれる、それらが喪われる事には耐えられない。
描くことを諦めないで。
描くことを止めようとしないで。
描いた人々を傷つけないで。
私とは違う視点を持つ人達が描いてくれる想像力の種を、どうか摘み取らないで。
考え続ける力をきっかけを、これからも世界に広げていって。
そう、切に願います。
拙く幼かった私の想像力に風を与えてくれた描き手が、新たな物語を紡ぎ始めて20年の、その夜に。
(過去に書いた自分の何気ない日記を思い出して。どちらも直接は全然関係なくて、あくまで私が勝手に想像した事なのだけれども、ふと、自分の中で糸を結んだので) -
EP3、15周年おめでとりです!
もう今度は間違えないぞこんちくしょう! (←EP2の17周年を大ポカしたのまだ引きずってる)
ていうか、作品への思い入れこじらせすぎてるこの十数年と、ゼノブレ3作(+つなみら)も出まくって「ゼノが忙しくてゼノが出来ないじゃないか!なんてことしてくれるんですか!!」という幸せな日々とが徐々に乖離してるのを感じます。引きずる必要はあるのかと問うと、そんな事誰も望んでないとは思うのですが、やっぱり引きずってるのかなあ自分。
サーガはホント、断ち切られた枝葉の先が見えてしまうように感じてしまう作品であるがゆえに、やっぱりこじらせ続けるんでしょうね、自分。多分そんなもの幻覚なんでしょうけど。出たそのままをきちんと愛でればいいんでしょうけど。
でも、張られた伏線に想いを馳せた日々が胸に痛いから、多分自分は引きずり続けるんでしょう。執念深いですがご寛恕をば。
そんなこんなで今回も辛口です。カレーで言うとジャワカレーの辛口くらい(具体的)。
ジャワカレー好きなんだけど、子どもが辛くて嫌がるので使えません(ショボン(´・ω・`))
* * *
EP3シオンに私が納得してないのは、EP1のグノーシス襲撃時にあんなにあっさりと自分の生を見限っていたシオンが、周りに当たり散らしながらやたらに死を恐れていた事なのよね。
まぁああやって生にしがみつかないと話が進まないのでしょうがないといえばしょうがないのだけれど、EP1からの不連続性に、私はなんか納得がいかなかった。
おそらくミルチアのあの一件で、シオンは自分が生き延びている事を納得しないまでに心が壊れてしまったんじゃないかと思っている。
親しかったフェブが惨たらしい死を迎え、父も母も理不尽な死を迎えた。それに守られるに値しない存在なんじゃないかという疑念を背負いながら成人を迎えたシオン。その中で、自分の探求心と安らぎを共に与えてくれる存在と言えるであろうケビンと出会えたのも束の間、彼をまた理不尽の中に喪うことになってしまった。──その結実があの「そうか、私、死ぬのね」に込められていると思っていたのね。
在るべきでない今の場所から解き放たれる ──彼女にとっての「死」はそういうものだったのではないかと思っている。
ゆえにアンドリューの消滅に何故か「嬉しい」という感情を得てしまう。自身でそれを驚いてもいるけれど、彼女にとっては現世からの解放は、心の深奥より望んでいる部分があったんじゃないだろうか。それを見抜いたアンドリューから「お前もいつかは虚無の浜辺《ここ》に来る」と予言されるほどに。
そう読んでしまうと、やはりEP3序盤からの彼女の振る舞いには納得がいかないところはあるのよねぇ。
ミッシングイヤーでの出来事は、父の所業を探求せねばならないという使命感から、人生の方向を変える決断をするだけの大きなものだったのかもしれないけれど、ただあそこで語られている内容だけでは、あくまで探求を促すだけで、彼女を生にしがみつかせるだけの根幹にはなりにくいように思う。あれだけ執着していたKOS-MOSと離れる事になってもやり遂げたいという点では随分と大きい決断だけど、それと彼女の生の哲学とは結びつかないように感じる。「知って、どうするの?」という問いをねじ伏せながら進む彼女は、知ることにしがみつくだけ。その狭隘は、問いが果たされた先までは見えていない。生きる理由としてではなく、何かに邁進するだけの、ニーチェ的に言えば「獅子」の状態なのだろう。そこと生への執着とが、話の中でどうにも結びつくようには、見えない。
アベルの方舟でケビンの手を取ったのは、彼の言うことを聞けば生き延びられると言うより、自分の在るべき場所を得たいという渇望だけだったようにも感じられる。「利用されようと構わなかった」という言葉が、やはり、シオン自体の「生きたい」とは離れているように私は感じたのよね。
私個人のニーチェ入門はこの本でした。この本の影響が多分にあるかとは思いますので、とりあえずご紹介。KOBO版もあるよ。
(それにしても表紙変わってたのねー。私持ってるのクリーム色してた旧版だわ~(in押入/掘り出し損ねた))
もしかしたら。
「生はしがみつくもの」という前提でEP3が進んでいく事に、私は違和感を覚えているのではないだろうか。
シオンはもっと「死」に親しい存在と見なしているがゆえに。
「死にたくない」そう考えるのは人として「普通」だ。
でも彼女がその「普通」でないとしたら?
──その前提をEP1の物語の端々で感じてしまったからこその違和感なのかもしれない。
だから物語の終着点である「力への意志」という言葉には、死を是認していたシオンを、生を肯定する生へと転換させる物語だったのではないかと、思ったりもするのだ。
そして、その「生への肯定」は、「ゼノ」が教えてくれた強く輝くメッセージ 。
私自身を魅入らせた物語の根幹なのではないかな、と。
神の兵器とされる事を拒んで戦ったフェイ達の物語。
全ては自らの意に運命められたと言い放つ神を斬るシュルク達の物語。
人智を超えた力に怯えるよりも今を守るために「つながる未来」。
全て「今在る自分たちへの肯定」を力に最後の敵に立ち向かい、勝利する物語。
ゼノクロとゼノブレ2はまだクリアしてないので何とも言えんのですが、少なくとも2はこの路線を継承してそうだというのがTLのネタバレから薄々伝わってくるので、実際自分で見るその瞬間が楽しみで仕方ないですわ。とりあえず今7章ど真ん中。(夏休みに入るんで二ヶ月ゲーム出来ないから泣いてる)
「Story is never ending...」となるらしいXだって、それでも最後はストーリーPVのリンちゃんの台詞「私達は宇宙から消え去った方がいいのかもしれない……」を覆す物語になるんじゃないかなとアタリをつけてはいるけれど。こちらも5章終わったばっかりです(毎回押入から出して繋ぎ直しての平行プレイですからのう。ああでも空がきれいだからどこまでも駆けていきたくなるんだよ…(訳:寄り道しまくり))。
閑話休題。
そんな「生への肯定」に至るまでを、きっともっとゆっくりじっくり描いていくはずだったんだろうなぁと思うと、つくづくEP3、そしてゼノサーガ全体には同情を禁じ得ません。やっぱり駆け足過ぎて、前田さん叫びっぱなしがとにかく可哀想でなぁ。ムービーモード連続再生してると、シオンずっと泣き叫んでて可哀想なんですわ、ホント。
前回のオルグイアの発見(?)から、やっぱりいろいろ気になって、EP3のムービーモードをはしょって見直したりもしたんですが、まだまだ読み解けてない事が多すぎるし、「え、その独白、どこに繋がるの?」とかなりがちだし。
そもそもケビンもヴィルヘルムも話題そらしが上手いんじゃー。おかげさまで何度も見返さないとわからないんじゃー! 「二人のアベル」ってなんじゃー!
EP3は、初プレイ当時はとにかく駆け抜けてしまったのと、駆け抜けた後、虚脱に近い状態になってしまったのもあって、やっぱり自分、読めてない部分多いなぁと改めて感じましたです、ハイ。
やっぱり再プレイちゃんとしたいなぁ。
ゲームとして、普通に面白いんだよね。どのスタイルラインを選ぶか、とか、共闘優先か火力優先で装備を決めるか、とか。アベルの方舟のマップに見られるような、考えて動かないと上手く進めない、ただ踏破する以上の何かを見せてくるマップとか。物語を追う以外の楽しみがとにかく増えてるんだ、EP3は。
それゆえに、見逃している部分が多い。そう感じます。
クリアデータがあるから、ムービーだけで復習するのも出来なくはないけど、ゲームという時間の流れの中で、じっくり読んでいきたい。ムービーに組み込まれていない部分の、世界の景色の中から。
今はゼノが忙しくてゼノが出来ない状態ではあるけれど、今ある全ての物語を巡ったら、また改めてゼノサーガは読み解きたいという想いに変わりは無いですね。
ゼノサーガは永遠の宿題です。
……ああそうだよこれから夏休みだよ主婦ゲーム出来ないよノワァアアアアン。 ゚(゚´Д`゚)゚。 -
※訂正※
投稿当初思いっきり「18周年」って書いちゃったんですが、正しくは17周年でした!
おもいっきり間違えとった~! なんでじゃー! バテンと混じってたー!
===================
EP2ハピバですが、のっけからお祝いムードそっちのけのキツい事言います。
私自身は03年当時からEP2は極力肯定的な視点で見つめてきたし(二次創作の場ではありましたが)語っても来てまして、何よりもつらかったのは、主要制作陣の交代・ビジュアルの変更よりも、それまで一緒に作品を楽しんできた同好のファンの方の作品への苛烈な罵倒と、それを超えた作品の面白さを感じながらもそれに抗しきるだけの表現を形に出来なかった自分への嫌悪感とも言えるべき感情でした。多分それは、そうと表した2005年の3月から変わる事無く、今も自分の胸の内にあります。
基本的にゼノサの紆余曲折は、その後のモノリスを繋ぐ為の幾多の挑戦と苦境の足掻きの結果であり、会社存続の為には仕方のなかったもの、と今になったら割り切れもしているのです。
でも、許せない点がないわけじゃない。
一つにEP1から何ら改善の見られないロード時間。
PS2のキャッシュメモリ、確かその当時の現行ハードの中で一番しょぼだったのは知ってるんだけどさー。それでも重い・重いよスレッガーさん!
再プレイ&やりこみプレイの重い腰が上げられない一番の理由がコレです。ハイ。
A.M.W.S.やE.S.、エルザの空中機動は見ていてホント好きなんだけどさあああああ!
一つに、テレビCM。
彼女とゼノサで迷うんじゃねぇよどっちも取れよ彼女にも布教しろよ!
思わず脳内修三が爆誕しちゃうレベルでもっと熱くなれよ!しちゃうレベルで許せませんですハイ。あれ、CM作った人どこかからワイロもらって嫌がらせしやがったんじゃないかレベルで駄作CMだと未だに思う。なんで娯楽と彼女を天秤に掛けるし! ゲーム売る気あんのかコラ!! モノリスのみんなに謝って!!!
あれならサイト限定FLASHのアナザーストーリーそのまま垂れ流してくれた方がまだファンサだったかもしれない。山ちゃんの声で「ゼノサーガ買おうっと!」が聞きたかった!と、今更ながら思ってみたり(聞いたらそれはそれでイタすぎて恥ずかしかっただろうな当時/ジン兄の性格崩壊台詞の再現の仕方が気になる)
そして許せぬもう一つにオルグイアさんの存在。
こっちは「こんな美味しいキャラ、なんで一発キャラにすんだよこの野郎」 と本気で激おこだったりします。
オルグイアさんの「おのれセラーズ!」というドスの聞いた声大好きなんですが、結局どういう関係だったのかは明かされないままだったのは本当にもったいなくてのう。
ただ、彼女については今まであんまりちゃんと調べて無くてよくわからなかったのですが、つい最近、というかようやくというか、語句がヒットしまして。
それは新約聖書・使徒言行録27:28。使徒記27:28で使徒パウロと囚人が百卒長ユリアスに引き連れられて航海に出た際、アドリア海の深さを計る長さの単位であり、1オルグイアは1.85m。
で、なんで今まで見つからなかったか/なんで今になって見つけられたか、というと、経堂聖書会という団体が出していた「前田(護郎)訳」での記述がたまたまネット検索でヒットしたからなのです。
他は「尋(ひろ)[口語訳]」「オルギィア[新共同訳]」等。「オルグイヤ」等など表記揺れ沢山。
私の手持ちの聖書は口語訳だったし、一応ヲタ子の嗜みとして黙示録と四福音書くらいは読破しておりますが(…嗜み?)、使徒言行録まで目を通す機会がなかったので見つからなかっただけです。そもそも訳によって表記がまちまちなのなんて知ったの平成も終わりかけの頃ですよ。なかなか他の聖書とかまで手を広げる機会ないしのう。
WEBで公開して下さったおかげで、専属家政婦型自宅清掃員の自分でも検索ヒットして見つかったので、学恩に感謝いたします。WEBは時と場所を越えて智を切り開く媒体だと常々思うけどまさにそう。■いろいろ参照元■
で、ふと気になってみたのだけれど、1尋というのは6尺なのね。
http://www.stonepillow.org/copyright.html :訳文比較
http://www.stonepillow.org/kurosaki_frame.cgi?44+27+6-3-3 :該当個所(前田訳『新約聖書』中央公論社 1983 ISBN:978-4120012600 の電子公開版)
経堂聖書会と前田護郎について
前田護郎@Wikipedia
6尺というと、江戸関連でなんかよく見た覚えあるなぁと思って調べてみたんですよ。
そしたら「六尺棒」という単語に行き着きまして。
六尺棒はいわゆる天秤棒。一般的な民具でして、江戸の町人の商売道具として貧乏長屋の描写では欠かせない一品です。まぁ長さ的に、家に帰ってきたら長屋の扉のつっかえ棒として鍵代わりに使う他、武器にもちょうどよいから、よく落語でこれぶん回して泥棒追っかけてる場面があるアレですね(古典落語『六尺棒』はまんまそれで追っかけ回す話)
日本武術の分野ではこの長さのものを「棒」とし、それより短い「杖」とは区別して扱っているそうです。
その解釈からすると、彼女・オルグイアはその名前からして用心棒としての役回り故にその名前なのかもしれないなぁと。
用心棒←6尺←1尋←オルグイアとかそんな感じの。
Ep2はEp1以上に敵キャラ技名の小ネタとか多かったりするので(「ジャック・ケッチは殺し屋だ」とか「吉原炎上」とか)、その延長から来てるのかな、とも思うわけです。ネタをころんころん転がして繋げてくる、ゼノ考察の一番(本編に影響あるんだかないんだかの)面白いところの集大成 かも。[落語演目としての]六尺棒@Wikipedia
何でそんな名前与えられてるのか?→コードネームかなんかなのか?(ジギーだって生前のジャン・ザウアーじゃなくてジグラット8という商品名だしね)という疑問も同時に浮かんじゃうわけなんだけど、それこそその部分は説明なくほったらかしなのでそこはおいておくとして。
[商売道具としての六尺棒]天秤棒@Wikipedia
[武器としての六尺棒]棍棒@Wikipedia
用心棒[あいまいさ回避]@Wikipedia
※ここら辺、ちゃんと江戸風俗辞典みたいな民俗学的研究の辞典から引き直したいですね。Wikilediaだけだとしんどいわー。
それはそうと、オルグイアと呼ばれているこの人物、戦闘に入るとエリュとマネスという二人格がスタイルチェンジしながら襲いかかってくるわけですが。
正直、こっちこそリローデッドして海外版での表記どないなっとんのやというのを見たい気マンマンなのですが、残念ながらEP2リローデッドはないので、日本語及び技名から推測するしかない。
エリュはおそらくエリュシオン(Elysium) 。楽園。「私を楽園に連れてって」のアレですね。
これはゼノブレ2の発売前に単語考察やってた。「ギリシア神話において、神々に特別祝福された人間たちが死後の生をおくる場所」。…実のところ私自身はまだゼノブレ2クリアしてないんで、そっちの方面での考察はもうちょっとお預けの身ですが(汗)。7章は行ったんだよ7章は!もう少しな感じでしょ!!!(プレイした人は「あー…」と言って欲しい)
そういや火星探査機・インサイト、無事にエリシウム平原に着陸してましたね。採掘は断念したようですが。そう考えると(採取の仕方の方向性が違うから一概には言えないけど)はやぶさ2の成果ってかなり大きそうだなぁ。これも楽しみ♪
(直接関係ないけどたまたま引っかかった語句を書いとくと結構玉手箱になり得たりするのでタイムカプセル遊び好き)
マネス(manes)の方はというと、「古代ローマにおいて、亡くなった愛する人の魂を表す言葉。語源はmanus(良い、善良な)」という意味があるそうです。
こちら、解説の元になっているものが自力で上手いこと見つからなくて、結局見つけたのが神姫プロジェクトの同名キャラの解説という、孫引きもいいところで申し訳ない。
これを足がかりにWikipediaで調べたところDi Manes(マネス神)とも呼ばれ、暗にハーデス(冥界)を表すもの。マネスには血の生け贄を提供した。剣闘士が元々葬式で催されていたのは、マネスへの捧げものだった可能性があるという解釈も見つけました。
で、この二人(二つの名)に共通する言葉、それは「死後に訪う場所」という点。
それも、求めて向かう場所、魂の救済されるべきところ、忌避すべきでは無く名誉とすべきものという思想を名に冠した名前だというのが興味深いなぁと。
実にキリスト教的。
そうなると、そのキリスト教的世界解釈に真っ向からカチコミかけて結局メンタル砕け散ってしまったニーチェさんの方の著作に当たりたくもなるのですが、これはホント思いつき&暴走妄想考察《ブレーンストーミングが過ぎる》なので、とりあえず保留(『悲劇の誕生』かな?とアタリをつけてはみる/ていうか自分のニーチェ理解ヒドイ)
そういう点でも「こんな美味しいキャラ、なんで一発キャラにすんだよこの野郎」 でフンゴフンゴのぷんすこぷんなのですも。
で↓ここから先は完全に根拠レスの妄想考察。
正直オルグイア役の宇和川恵美さんの起用は、ミユキの方がサブキャラ採用で本筋はオルグイアの方だったんじゃなかろうか疑惑まで私の中ではあったり。ゼノブレ無印でリキとヴァネアが甲斐田ゆきさんによるダブルキャストだったような、そんな感覚。どっちも大事なんだけど、本筋を進めるPC側のNPCと別組織のNPC的な。
特にゼノサーガの場合、根幹テーマの一翼を体現し、主人公側(=プレイヤー側)のそれまで築き上げてきた「常識」に楔を打ち込んで、彼らを惑い、そして彼らなりの道を見つけさせる、そんな重い役回りになるはずだったんじゃないのかなぁ、と。
それが(何がどう狂ったかはこの場で考察する事はしませんが)完全に出落ちの一発キャラ中ボス化。話の流れの良さを考えるならば、如何に収録分が勿体なくてもオルグイア周りはばっさり切り捨ててもいいくらい、他の部分の話と全く絡まないキャラになっているように思えるのよね(強いて言えば「教皇の子飼いもうちの若手もダメじゃん!」ってペレ姐様に言わせる役回りぐらいしか)。DSじゃばっさりカットされてて影も形もないのだが、あまりのリストラの潔さっぷりに、やっぱりそれなりに重いエピソード一つ抱えてたりとかしてたんじゃないかなぁと逆に思っちゃう訳ですよ。切り捨てる事で本筋に視点を集中する為にね。
じゃあ本来はどんな役回りだったの?というのは全くの想像でしかないんですが、「フェブロニアの妹たちに負わせているゾハル制御を代わりに担わせる両性具有者《アンドロギュヌス》(但し失敗作)」 とかだったりするのかな、と。
EP3用語集内のオルグイアの説明では、U.M.N.転移実験用の特殊サイボーグで、実験事故で多重人格化→粗暴な性格を利用して教皇の用心棒として再調整、とあるのだけど、その転移実験とやらがどんなものかわからん。というかこの手の実験ってすべからくゾハルを何とかして便利に使いたい思惑の元にやってそう。
ニサンの二人の天使の話もそうだし、(後世の作品で申し訳ないが)『パシフィックリム』でイェーガーの制御が一人では出来なくて最終的に二人がかりでやることになった、みたいな感じで、「何かを動かす為に二つの魂が必要」みたいな哲学(思想の根底)がそもそもゼノには存在するので、それに関わる展開で作られた、そんなキャラクターだったりするのかな、と。グノーシス主義っぽいような、万物がすべからく対になって世界を構成する、そんな根本哲学がゼノギアス~ゼノブレイド2まで必ず存在するしね。
ただそれって、実現するためにはヨアキムの持ってる何らかの理論を必要としていて、宗教結社オルムスの持つ技術では全然歯が立たない代物で。EP3の用語集(フェブロニア)を見る限り、「トランスジェネリックタイプであること」がゾハル統御に必要な要素ということで(セシキャス/MYのアルマデルはフェブのコピー)、世代継承を出来る能力を持ったレアリエンでないとそれが適わないという所までは判明していて。
セシキャスがどの段階でゾハルに繋がされたのかは詳細記述がないのでわからないのだけれども、仮にヨアキム存命の間にセシキャスが繋がれたと仮定すると、多少の制御は出来てもヨアキム死後にゾハルの力を自在に使う事が出来なくなってしまっていたりとかしていて、ゾハルを思うがままに自由に使いたいオルムスとしてはどうにかして喪われたヨアキムの代わりにそれを成し遂げなくてはならなくなったわけですよ。
そんなこんなでセラーズがヨアキムへの対抗心で試行錯誤した結果、いっそ一つのサイボーグ素体に両方入れてしまえば!→ていうか男女だったら上手くいくんじゃない?→ダメでしたーこいつキレすぎやわ用心棒くらいにしか使えへんわー(おのれセラーズ!) とかそんな顛末だったりして。
後にソマブリで見たマスターラバンとアドニスの関係性に近いところあるんじゃなかろかと思ったりもしたんですが(セラさんもラバさんも大きな力の覚醒に巻き込まれて足の自由を失ってるところとかね)、でもラバンとアドニスの関係ってどちらかというとマルベーニとメツの方が近いように見えるんだよなぁ(※その情報アクセスしてよいのか未クリア自分/ネタバレはざっくり平気で踏み込む悪い癖)。
******
なお、同じ六尺繋がりで六尺褌という言葉もあり、江戸~明治の男性向け下着として定着したそれ、明治期に皆兵令が出た際科目として取り入れられた水練では当時洋装が広まってなかった為これで泳ぐ者が多かったらしい。そのまま1936のベルリンオリンピックでもこれで泳ぐ選手がいて「めっちゃ速いやん!」と取材陣が殺到したとか。
なおジン兄の前垂れを下ろしてるあの水着の形態は、明治以降「脱ぎ着楽だし!」って事で広まった越中褌っぽいのでちと違ったりします。六尺褌@Wikipedia
……なんでオルグイアさんの話してたのにジン兄水着に行くんですか自分orz
2021/7/2追記
ミスごめんなさいごめんなさい連呼のTwitterの下にネタを一つつけましたので、ついでに添付。
実は今少しずつTwitterのヲタ日記ログをこちらの日記に転記してる最中なので、後日見たらこの日記の翌日にそのツイ日記がついてるかもしれない…が、編集いつになるかわからんので、とりあえず自分備忘録として。6)Project Gutenberg(欧米版青空文庫的なもの)にトマス・ブルフィンチの原著あるから、アーサー王伝説等は一度目を通したいんだよね。ゼノクロのラオさんのチーム・ベリサルダもシャルルマーニュ伝説絡みだからいつかは読まないとなとは思ってる。https://t.co/uCwv7bkTsM
— Azusa-F (@jaderings) June 24, 2021
トマス・ブルフィンチ(ギリシア神話とかアーサー王伝説とか「おまいら欧米の創作語るなら欧米の神話は必修科目じゃぞい。てなわけで俺のまとめたのを読みやがれ」な人)、読むだけならいいんだけど、ノート片手にメモ取りながら読みたいと考えると、今の環境だとなかなか難しいかな…ホントいつかはやりたいのよ。 -
先日部屋を整理していましたところ、昔、ゲームショーで見たゼノサEP3情報を書いたペーパーが発掘されまして。
13周年も来ることだし、せっかくだから過去の恥は搔き捨てでUPしてしまおうかと。
全4枚、サムネUPなのでクリックすると拡大して読めます。
……読みづらい字で申し訳ないですが。
これは何かと申しますれば。
Xenoシリーズのオンリーイベント【Project SIGIL】が、兵庫は明石の会場にて、2005年9月18日に開催されまして。
その前日、関東勢な私は、ゼノ友と一緒に神戸観光兼ねて現地入りする予定だったのですが、無謀にも私は、その日の午前中から開催されていた東京ゲームショー(一般公開日初日)のゼノサブースを覗いてから神戸入りをした挙げ句、泊まったホテルでペーパーを作るという暴挙に出ておりまして。
いやー若かった若かった。
当時の、会場ディスプレイ見ながら読み取れた情報を元に構成しているので、ところどころ認識間違っていたりするところはどうかご寛恕を。
EP2の事もあって、(その信憑性の確かさも含めて)あまりよくない話ばかりが伝え聞こえてきていたゼノサではあったのだけれども、「ああ、ちゃんと終わらせようとしている」、それだけが胸に迫った、そんなゲームショーだった。
決して裏切られたとは思っていない。
ただ「ああ、楽しさを他の人に伝えきれなかった。ファンの立場から支えきれなかったんだ」「もう、この人達のお話を読むことは出来なくなるのだろうか」そんな寂しさの中で、それでも何とかワクワク感を、楽しもうという気持ちを必死に奮い立たせていた、そんな気がする。
……2006年は、自分にとっても人生大転換期だったのだけれども、趣味の世界でも、それを最後に会えなくなるものがとかく多い年で。
その代表的なものが、私の中ではゼノサーガだった。
ああいう、言葉の強い――でも、娯楽として簡単に読み飛ばすのが難しい――ゲームを作るのが苦しい時代になることが、何となく差し迫っているのも感じていて。
だからこそ、さようならだと思っていた。
そこから任天堂にパートナーとして見出され、そしてその期待に応えて、今もまだ私達に物語を届け続けてくれているのは、監督を始めとした作り手さん達の途方もない努力の結果なのだけれど。
その当時は、そんな未来が来るなんて思っていなかったから。
そういう意味だと「ダメダメやん!」と言われまくっていたEP2よりも、EP3の方が、実は私にとっては絶望の記憶が深かったりもするのです。
マップの仕掛けとか、戦闘部分とか、育成とかは一番好きなんだけどなー。
(但しGeMix、貴様ムズすぎ。ジギーの水着よこせぇえぇぇぇ!)
作品そのもの以上に、作品の周辺情報にばかり目が行くのは今も昔も変わらなくて、どうにも虚心坦懐に評価出来てない感は、未だに結構強いですわ。
まぁ正直言って当時も今も胸部装甲は飾りですエラ(ryとは思うのですが!!
……そういうのに頼らずとも、作品が評価されるといいなぁ。
少なくとも、そんなの無くても私は好きだよ。
実際に書かれたものも、書かれずに終わったであろうと垣間見える部分も含めて。
最後に一つだけ。
過去のゲームクリア時の自分レビュー。
実は、ゼノシリーズでは唯一、1周しかしてないままで今に至った作品でもあります。
(ゼノブレはそもそもどれも終わってないのでノーカン)
故に、クリアした当初、わからない部分がとにかく多くて。
でもそれは、自分の中では作品の読み込みに浅さがあるに違いない、と思っていたんですわ。だからちゃんとしたものは、後でもう一回巡ってからやろうと思ってました。
でも、それを埋めているだけの娯楽を楽しむ余裕が、むしろ私の人生側で全く無くなる状態に陥ってしまってましてねぇ。
そんな当時の、クリアした勢いに任せてとにかく書き殴った.txtを、先日HDDの同じ所から発掘したんです。
キャラによって書けた事、書けてない事の軽重が異なるため、多分どこにもアップした覚えはないし、人に見せた覚えもないんですが。
むしろ、戦闘の戦術のことばっか書いてた中で、ほぼ唯一と言っていいほど、物語に言及し、書き切っていた部分。
それは、自分の好きなアレン君の話でした。【アレン】
……今読み返してみると「その立場、シオンに渡してやれよ」という気もしなくもないのですが(笑)
単なる足手まといのダメ男クンが、ついにここまで大出世!! アレンファンとしては涙ちょちょぎれますな。
でも、実は彼、作中で一番、ニーチェの言う「力への意志」を体現した人間じゃないかな~と思うのです。当の主人公のシオンをさしおいて。
ケビンは「力」という枠組みの中でしか自分が何かできる術はないと言う囚われを持っていて、その思想<思いこみ>へとシオンを巻き込むことで自らの優位性を確保していた──それはあたかも、僧侶が原罪を民衆に説くことで、その民衆よりも優位に立てていたかのようにしていた──けれども、アレンはそのことを否定する。それは、ケビンの標榜する「力」に相当するものをアレンは全く持っていなかったから。でも代わりにアレンは、「力」のない自分を肯定し、且つ「力」がなくてもシオンを守ろうとする気持ちを肯定することで、「力の有無」という価値観を否定し、ケビンのさらに優位に立つ価値観を自ら作り出した。──そういう「(既存価値観に囚われない新たな)価値観の創造」を成す事が、ニーチェが言うところの「力への意志」であり、「超人」を具現化していたんだなぁ、としみじみ感じてしまいます。
……しかし、アレン=超人と言い切っちゃうと、何故か頭の中に流れる『究極超人あ~る』(爆)
それはともかく、へらっと笑って「構わないさ」というあのシーン、平田さんの演技もあってすごくよかったです。
かっこよすぎる!? 大いに結構!! それだけのテーマを彼は背負っていたのだから、いいんじゃない?
もしかしたら、本当にシオンが自分の足で立つ、そんな物語があったのかもしれない――そんな事を思いながら、私は私の中でこの物語を終わりにした、そんな覚えがあります。
まぁ二次創作系ヲタクなので、書かれてない事は勝手に捏造作るしかないと思っちゃうのが、なんとも業が深いわよねぇw
いつかは勝手チャレンジしたいわぁ。ひたすら自己満足に、強欲に。
……その前に本当の何かを見せてもらえると最高だけどね♪