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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

読売の23/1/7FF記事わかってねぇな感をぶち吠えるザマスよ!
FFの人気を不動にしたのが、97年発売のFF7だ。
「え、4だろ」
「4だな」
夫婦二人で新聞記事を真っ向からディスった上で「赤い翼(セーブデータぶっ飛び事故・悲哀のテーマ)」の合唱に入ってしまい、デジタルネイティブ姫ズを困惑させてみました。正月早々レトロゲ老害。

とはいえ、SFC3作をFFの至高と見なすn=1(旦那も含めれば2)のおかんからすると、新聞にこーゆーワカッテナイ勝手定説振り回されるのフンゴフンゴも!なので!
ていうか読売の経済面の記者、ここら辺の肌感覚がわかる世代がおらんのかーい。(大切な事は殆どゲームで教わってきてない年配なのか、逆に若すぎて売上数値でしか歴史を辿れない小童なのか)
読売は正月のエンタメ特集版に全面広告出したりもしてる割には、経済面的には「えっらい時間も金も掛かってるけど、回収できるんですかぁ~?(ニヨニヨ)」なのかもしんないけど。それってゲーム関連産業に対する日経しぐさやん、と思わなくもない。


というわけで、n=1おかん吠えるぞ!書き殴るぞ! スゥゥゥゥゥゥ(深呼吸)

7の躍進は、デジキューブという新会社による販路の大幅革命もさることながら、SFCで広がった表現力に惜しみ無く尖り才能を注ぎ込み、456のみならず、サガや聖剣、クロノにLAL等々おもろゲーを連発してスクウェアソフトのブランドを不動の物にした当時のかいはつしつの賜物でしょ。

音楽室一つとってもそう。
植松氏を筆頭に、イトケン・みっちゃん・ヨーコさんと、なんであそこにあれだけの才能がみっちみちに詰まっていたんですか!特異点なの?寿司勧誘が強すぎるの?(寿司屋に拉致られてスクウェア入りしたの誰だっけ。ソーカントク?みっちゃん?杉浦さん?)
まぁこれは、NTT出版との連携で作曲家の名前を全面に押し出しながらサントラや楽譜出せてたのも大きかったと思う(FF7でデジキューブがサントラ売りする前のスクウェアのサントラはNTT出版が売ってたのですよ/楽譜はドレミか)
ゲームサントラが商売になる、というのは、都響使って演奏会したりサントラカセット販売を早いうちから仕掛けてくれたすぎやんが引いてくれた道だとは思うけどね。
(勉強不足でそれ以前のゲームサントラの扱いどうなっていたのかはよくわからんスマヌ。名曲多いけど、それを取り出して売る流れになっていたのかどうなのか。ナムコットとか出してなかったっけ? やっぱりすぎやん以降?)

それに、(これはちょっと自分の手元に正確な資料がないんで引き合いに出すのもアレだが)当時のスクウェアソフトには「開発1年半」の縛りがあって、その中でポンポンいろんなソフト出す流れになっていたという話をゲハ板かなんかで小耳に挟んだことがあるから、ゲームミリ知ら外側から販売実績を眺めてるだけの人からすると「毎年何かしら出してる」に繋がるのかもしれない。
その縛りが後の裏FF7→ゼノギアスの「Disc2紙芝居にしてでも何とか話を収める」(但しゲームとしては賛否両論)に繋がったりもするんだろうけれど(まぁ言うたら7も8もDisc3でゲームし尽くしてるかというとDisc1のゲーム体験からすると圧倒的にゲーム出来る時間少ないよね感は否めないんだが)、言い出したらキリねぇなこの話…閑話休題。

なにはともあれ。
SFC以降のスクウェアソフトが取っていたゲーム制作のスタンスと、そこに集った才能の暴走がもっと楽しいゲーム体験を求める「大事な事はみんなファミコンから教わった」世代にドカ刺さりした結果+当時全国急拡大していたコンビニエンスストアでゲームを売るという販路転換の為にスクウェアが自力投入したデジキューブの悪魔合体FF7の躍進に繋がっているっつー肌感覚を持ってるリアタイが確かにここに一人おるんでありますよ!
ヲタクバッシングすさまじかった80年代後半~90年代、アニメやマンガが好きなら親でも平気で子供の事を殺人犯呼ばわりしたような時代で、息を潜めながらヲタ活していた当時の女学生《あちし》にとって、コンビニで普通のサラリーマンがレジのにーちゃんと「FF7予約した?」「ああしたした」なんて会話をしていて「すごいな、こんな大人もゲームするんだぁ」と感動したこの時代体験、なんとしても残しておかなければならない話かと思ってみたり。
(販売関連は、FC→SFC当時のROMカセの販売スタイルやら返本制度よろしくの返品問題とかも絡むんだろうなあと言うのはなんとなーく知っているんだが、こちらも不勉強につき割愛。ネットでその話は見たのは確実なので、どこかにちゃんと調べてた人がいたはず。ジオシティーズのだったりしたらもう見られんよな(涙))

そんなスクウェアなら何でも大丈夫だろう感覚が醸成された中で買ったFF7はもちろん、「ご先祖様がロニって言うんだって」という友人の一言だけで完全新規タイトルの裏FF7を買っちゃって神の夢に縛られたまま四半世紀経過してる人間としては、FF7の躍進はFFだけの力じゃないと声を大にして叫びたい。叫びたい! 叫びたいんです!!!!!
そのくらいにはホント、あの当時のスクウェアソフトおかしいくらい面白作品多かったのよ!群を抜いていたのよ!
久々に【社長が訊く 坂口博信×高橋哲哉】見てるとワクワクが止まらんぜよ。



しかしこうして書いていても、やっぱりTIGRAFにGPの河原さんに指摘された通り(手前記事引用にて失敬)「今(2003年)のゲーム評論家は、自分の好き好みだけでゲームを批評しているという点において、批評家としては非常にレベルが低すぎるものでしかない。」 から抜け出せない自分を感じるわねぇ。個人体験でしかないしバリ主観でしかないもん。
新聞のような大雑把メディアでは、この感覚を切り出すのが難しい。ていうか無理。故にああ書かざるを得ないのは理解する。理解するけど納得できない。ジレンマ。
こういう経験や想いを持っている人間が私だけじゃ無くて、もっともっといるよっていうオーラルな記録が沢山集まれば、読売のあのFF記事にはちょっと待ったコール掛けられるのかな、そんなことを思ったりはしちゃうんだ。

ゲームというものの体験というのは、それぞれの受け取り方が深く異なるという、他の娯楽とはまた違った奥深さがあるんだなあと思うと共に、その体験の良さを伝えることの難しさをつくづく感じるよ。


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