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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

[やや重め]いろいろ考えているけど、いざ言葉にしようとするとどっさりになりすぎて自分でもビビってる。

 姉姫が、行きつけの小児科にいくたびに、この本を「読んで」と持ってきます。
 昨今のニュース報道に、幼いながらも何か感じているようです。

 正直、この本で書いてある方法でなんとかなるとはとても思えないと、経験談で思ってしまう母ですが。
 読み聞かせる方も、思わずポイントとなるセンテンスはゆっくりしっかり読んでしまったり。

 ただ、今回の報道や、それにまつわる有象無象の言葉を(時間がないなりにも断片的に)触れていて思うことが。

・問題のポイントがずれてきているような気がする。

 とりあえず、何かに「白黒つける」方向性になっていやしないか、というのが不安なところ。

 義務教育という殻に守られて、超法規的行為を行っていながら、それを「やってない」と嘯き、義務教育を施す側もその犯罪行為を追認するかのような行為に及ぶ様に対しては、中学時代にプール更衣室で下着ドロ(発見場所は焼却炉)にあった被害者としては、肥溜めに落として堆肥にしてしまえ(by【送料無料】銀の匙 Silver Spoon(4) [ 荒川弘 ])と思うくらいなんですが、それに付随して、というか、乗じて、余計な議論が発生していることに違和感、ないし恐怖を感じています。

直接関与してないのに白黒つけたがる人は、自分が白だと信じて疑っていないから。
で、次から次へと「黒」を見つけて、自分が「白」になろうとするから。

いつ、そういう奴らに目を付けられて、「黒」扱いにされるか。

経験があるだけに、怖いです。ホント。



小学校4年生の時、部落差別の映画を体育館で見ました。
住む場所による差別がこの日本に存在することを、私はその日知りました。
次の日から、私の名前は「ブラクさん」になりました。
実際に自分がそうなのかはわからないし、言っていたクラスの全員もちゃんと根拠を押さえてきたのではなさそうなのけれども、私は「ブラクさん」のまま卒業しました。
中学もほぼ持ち上がりだった地区なんで、学校内の人数増えた関係で相対的に呼ばれる回数は減ったけれども、そう呼んでいた人は確かにいます。

そういう事が簡単にまかり通る社会は、今後も続いていくのかなあ。


とりあえず。
子供たちには、メディアリテラシーとして仕込んでおかないとなあ、と思うのです。

「反対意見にも胸張って提示できるソースを自分で確保しろ」と。

自分が確かだと思う根拠以外は、武器として使えないのよ、とね。


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