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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

まだ道半ばですがXenoblade2の4周年おめでとり!で今の時点で思った感想
今年のおめでとり!ですが、昨年とは違い、ほとんどなんもしてません!
自由な時間がさらに確保出来なくなったのもあるのだけれども、今回は創作とかよりも、とにかくインプットが――ゲームを進めるのが――楽しくて!
記録を見るに、今年は5章終わりから7章終わり(+8章冒頭)まで進めて、今イーラ→グーラ→イーラなので、かなり進められた方だとは思う。
ミノチさんいつになったらパーティ加入するのかとやきもきしてるところです。
年内はもうほとんどプレイ出来ないから無理かなー。
Azusaのアルスト放浪記Azusaの500年前アルスト放浪記とかはしてるので、お暇&ネタバレ怖くない人は適度にどぞー。
今年はホムヒカのスマブラ参戦もあったから、今年から始めたという人も多いのだろうけど、一切配慮せず好きなだけしゃべってます

それはそうとして、ゼノブレイド2の作品のあり方について。
「この作品、今の時代に合う作品なんだろうか」と、ふと、不安になっちゃったんですよね。
この、ふいに沸き起こった不安感なんだろな~、女性描写に対する昨今の風当たりの強さとかかしら~、でも発表当時の2017年からしてなんか不安な感じが拭えないのよね~……と考えてきていたんですが、なんというか、「アニメの放映が1年間52話以上保証されていた時代の雰囲気」だからかもしれんぞコレ 、という謎の結論に至ってしまいまして。

4話、ジーク2回目もそうだし、ノポルダーオンもそうなんだけど、全体にギャグ回なんだよね。
ただこのギャグ回、ギャグの派手さやとっちらかりに目が行きがちなんだけど、そこでこそっと描かれている背景の描写が、のちのちに伏線となって、物語の大転換タイミングで表れたりする。
4話のサクラ大暴れ回、そしてその後のサクラRの登場と、実はその間、あの廃工場の話って「ああそんな事もあったね」レベルでメインストーリーからすっ飛んでるんですよ。位置的には、ヒカリちゃん登場+αが第一クールだとしたら、第二クールの中盤くらいのイメージ。
それが6話の終わりに来てあの展開だ。撒いてあった廃工場の話がレックス一行の道行きを完全に粉砕する、あの瞬間。おそらくこれは第三クールの前半戦山場的な。
ここら辺の組み立ては竹田さんのようなアニメ出身の――特に90年代の1年ものアニメの構成を現場で作り上げてきた方々の――真骨頂だなぁ、そんな印象で展開を眺めておりました。高橋監督らの青春を彩り、その手で生み出すことを焦がれた物語づくりの姿勢《スタイル》にも近いのかな、とこれは過去インタビュー記事各種からの憶測ですが。

しかしながら。
今、こういう流れの作品少ないなぁと思ったりもするんですよ。
というか、もしかして90年代(前半)アニメで育ってない世代って、こういう「長丁場の話読み」、苦手……というか、慣れてない人が多いのでは?という、なんかふわっとした直感が湧いてきまして。

以降、出産以降自力でコンテンツ追っかけする余裕がなく、なんとなく子供の動向から10年程度状況を分析してるn=1おかんのボヤッキーなので、その上で読み進めていただけると。

強いて言えばニチアサが何とかその路線を堅持しているようにも思うんだけど、我が子の場合、一年物のアニメで見続けている枠だったのはプリキュアくらいで、スイプリ~ハピプリ辺りがゾーンなのですが、単発でどかーん!めでたしめでたし回は普通に見るのだけれども鬱回・負け回入ると途端に嫌がって見なくなる傾向があったので、うちの子達「通年の話の流れを楽しむ」経験がほとんどなかったりするんですよね…(そして2月からしれっと新番組は見たりする)
そも日曜日って保護者参観とか親子遠足とかスイミングの大会とかで結構予定入りがちだし、それは周りのお友達もそういう傾向が多くて、幼稚園とかでもアニメが話題に上ったりすることも多くなかった地域だったので、おそらく一番のアニメ視聴ゾーンでニチアサの盛り上がりが薄いお子様時代でした。休日ですらそうだから平日放映作品は言うに及ばず。クリスマスには変身玩具を要求されるけれど、変身玩具の所持が大事で、お話は二の次。
怖いの嫌なのわかるし、プリキュアが負ける展開も嫌なのわかるから、趣味の世界だしそこは親としては無理強いすることは避けてきたのですが、その点、物語分摂取に飢えてたかーちゃんが一番涙目なのはヒミツです。ドラとかアンとかのような8分一話単発ものじゃない、ストーリーもの読ませてくれなのぢゃー! 逆転からのカタルシスが楽しみたいのじゃー!!! イケボ実力派声優さんのボイスに溺れたいのじゃああああー!!!! と心で叫んでた子育て時代でござった…。大塚明夫さん分を長ネギマンで満たしていた当時…。
なお、プリキュア卒業した姫ズは一時期アイカツに行っていたのですが、あかり世代で集めたカードがフレンズでゴミクズと化したので自然卒業していきました。見てる子はふつーに深夜放映時のラブライブとかをアイカツの延長で見てたみたいでしたが、深夜帯見せる親って少ないからさすがに流行ってなかったなぁ…(見てないけど知識があるヲタおかんドキドキでしたヨ)。プリパラは…紫京院ひびき様があまりに無双するのに嫌気さして視聴すら一瞬。男装の麗人(CV/斎賀みつき)とか親はどストライクだったんですが。あとめが兄(CV/諏訪部順一)。

で、そういう流れからだったので、子供経由で「あれが流行ってる」「あのアニメを見たい」という要求がほとんどないまま、小学生時代が過ぎ去ろうとしている今日《こんにち》です
妖怪ウォッチブームは一瞬あったけど、メダル収集が加熱しすぎておかしい事になっていたのを見抜いた(親)子から自然に手を引いていってたな~。集めてる子はいたけれど、集めない子も当たり前。ポケモンも似たようなもので、DS突き合わせて遊んでる姿も近所で見かけたけど、そもDS持ち出せる子とそうじゃない子の差が大きかったんで、あまり長い時間ではなかった印象。ベイブレードはパーツオモチャだから男の子で結構やってる子は多かったかな。でも女の子ものは収集系の圧がとにかく強くて、持ってないと遊べないという子も多々発生しやすいのを子供達同士でお互いに敬遠した結果、アニメ発のものの流行が半年と続かない印象でした。アニメ自体が半年やれれば御の字だからさもありなんとは思うのですが。女の子の間だと、ストーリー物よりも普通にグッズ展開がメインになっているようなすみっこぐらしやコウペンちゃんが、アニメ云々関係無しに高学年でも静かに覇権取ってる印象です。

そういう「受動的お話読みの経験不足」もあるのだろうか、うちの子達、長丁場の話で「ああ!」と膝を打つ展開でもきょとんとしてる事が多くて
……いや、本は読むんですよ、普通にハリポタとか。
でも、細かい伏線を覚えてないというか、こうなるべくして話が動いていた、というのがあんまり見えてない、っぽい。
ハリポタ(アズカバン)の、ピーター・ペティグリューの下りなんか、なんか急にネズミ顔のおっさん出てきたぞ程度にしか思って無くて、ロンの使い魔のスキャバーズじゃんっていっても「???」になってるし。
マンガでも、荒川弘の『銀の匙』で駒場がロシア行ったのも「なんで?」ってなっていたりとかしてる。退学した話はアニメでも出てきて覚えてるけど、その後「山の向こうに行く」「真吾に家庭教師を打診している(→アレクサンドラさんにロシア語教わっていた)」が読み取れて無くて、「なんでロシアなんだろう…近いから?」となってる(ついでに、ウクライナに行くはずが現実の政情問題でウラジオストクに変更になったというおまけマンガの下りもあんまり理解してないぽい)
読解力の問題なのかなあ……でも学業としての国語はそこそこ取れてるし読書量は話を聞くに学年でもかなりのものなので、学校の先生とかと話していてもそこの違和感が埋まらなくて、親としてはもやもや……。(まぁ国語の現代文なんて出た部分勝負だから、うっかり原作知っていて余計な知識持ってると記述回答事故りますけどね…(経験談))

そうこうしているうちに、少し前ですが、うちの姉姫が(年頃相応に)呪術廻戦にハマりまして、布教を仕掛けてくるようになりましてん。
親としては、こういう旬の面白いもの、どんどん先を読みたいなぁと思いつつも、子供が自分のおこづかいやりくりしながら少しずつ単行本を買い集めていくのを静かに待つという、じっくり育てるヲタクムーヴしておったりします。親が大人買いしたものよか、そういう「自分で集めたもの」が子供時代にあった方が、作品を大事にする気持ちが育つかなーって。故に子供がハマって集め始めたものは、基本的に親は金を出さないようにしています。読んで一緒に萌えトークはするけど。


しかし、読ませてもらって思ったんだけど、展開が本当にジェットコースターなのな。
週ジャン作品のリアタイおっかけはほぼしたことなくて、後追いでジャンプマンガを読むこと多かったという私自身の経験値からしても、まぁ週刊ジャンプの実力主義を考えたらこういう尖った方向性になるのは当然の帰結かなとは思うのだけれど、それにしても早い早い。伏線はしっかり撒きつつ、でも、いざとなったらその伏線はざっくり切り捨てられるような、そんな作りをするのはジャンプの常ですが、その思い切りの良さは、じっくり話を練って全ての伏線を引いて話が収束へ向かっていくタイプのもので育った身からすると空恐ろしさを感じるほどですわ。1巻の最後の展開なんて、従来のジャンプだと2巻の終わりに持ってくるでしょ、的な大きな動きだものね。

でもよく考えたら、アニメだってきちんとしたストーリー物は深夜帯にばかり集まっていて、多くても2クール程度が当たり前なんだから、読み手の方も、今はこういう早い流れが当たり前になっているんだなぁ…、というのが、しみじみ感じるところではあります。深く埋められた伏線も、読み手の記憶からではなく書き手の手によって強引に掘り起こさないと読んでもらえないくらいのものになりがちな程度には。
スマホゲームだって次から次へと期間限定イベントが入るし、新エピソードも増えるしで、「コンテンツが掃いて捨てるほどタダで手に入る」時代には、物語《メインストーリー》はこのスピード感で読むものという常識を身につけた状態で今の若い子達が――マンガやアニメによって――育てられていくのかなぁと思ったりもするのです。

それを考えると、現在のゲーム(CRPG)の、自分の手を動かしながら練り上げていく物語の進め方って本当にゆっくりで、やりこみ要素を含めた寄り道の要素もかなり多くて。このゆっくりさ、今の時代のコンテンツには少ないなぁという印象が沸き起こったりもするのです。
マンガという表現だと、まだ欄外やコマの中のちょっとしたネタ呟きとかで、そういうのが補われていくのかもしれないけれど、深く細かく埋められた伏線がふわりと浮き上がってきたり、主核となる物語の早さ・強さとは別の流れを楽しむ文化は、ひょっとしたらかなり絶滅危惧種なのかな 、と。

いや、2015年のゼノクロの時点で既にそうだったかも。
早解きをした人からすれば「ストーリーが薄い」という評価が強かったけれども、ようやくドールライセンスもうちょっとでゲットという所まで進めている身からすると「……そんなに薄い?」という気がなくもなく。まぁ拾えるクエストは極力拾いながら進んでいるし、パスファインダー且つコレペディアン仕草で交戦を避けて進むスタイルだからワンパンKOされて時間かかりすぎというのはあるかもしれないけど。その課程で個々のクエストでエピソードも楽しんできて、私の中ではそんなに「浅い」ものでもないかなぁ、というのが正直な個人の感想です。でも、寄り道全くせずにメインストーリーだけをまっすぐ追いかける(のが当たり前の)人からすれば、あの作品は全然「薄い」のかもなぁ、というのはあるのかもしれません。……まだクリアしていない身としては私の中での結論は出せませんが。


とはいえ、そういう寄り道の多い物語の流れが好まれる素地というのは、決して無くなってはいないと信じたいんですよね。

その例としてあげたいのが『葬送のフリーレン』

これは親の方が先に集め始めちゃったんですが「あ、知ってる」と姉姫言い出したので、子供世代にも評判らしい。
メインのストーリーはあるのだけれども、基本的にはゆったりとした時間の中で物語が進み、時には数日・数年の事ですら1ページの台詞のないいくつものコマで彩られていく、この「想像の隙間の多い」物語が若い世代にも評価を得ているというのは、このくらいのスピード感の物語を慣れ親しんできたものとしては、ちょっとほっとするところでもあったりするのです。こういう物語も捨てた物ではない、そう思う人が多いということは、そういう物語もまた、世に乱立する早いスピードの物語の向こうでしっかりと根を下ろしてくれているということだから。
まだ巻数もそこそこで、今後どうなるかでまた評価も変わるかな、とは思うのだけれども、話の根底に流れるうねりのようなものは静かに感じられるので、個人的に期待大の作品です。

似たような物語のうねりとして個人的にガチ推ししたいのは、DQ10世界をベースにしたコミカライズの『蒼天のソウラ』なんですが、これはDQ、そして10というマンガ外の作品基盤あってのものという思いもあるので、同列に論じて良いかは少し悩むかも。とはいえ、ストーリーは10にほぼ抵触しない(むしろ10本体は風景の一部でしかない)ので、普通に冒険活劇として楽しいです。形質《アルケー》とか言い出したらゼノっ子好きじゃろ? というのもある(笑)。それ以前に、DQ4及び8好きには必修科目呼ばわりしちゃうぞ。ライセン様とイシュラース様推しじゃー!(どっちも敵方やん)


まぁ時代は移ろいゆくものだし、と言ってしまっては元も子もないですけど。
また長く広く深い物語を好む人達が多くなってきた時、その時に、ゼノブレ2の物語に、モノリスの創り出す世界の広さに触れて楽しめる人が増えて欲しいなぁ というのが、モノリスソフト作品の描く物語のリズムが好きな1ファンの正直な感想です。

……とりあえず、うちの子にDEだけでも布教したいんだけどなぁ……学校も忙しいから本人に情熱がないとちょっと難しいかなあ……しょんぼりorz
Switchに残してるノポンもりもりスクショは喜んでくれてるんだけどね-。

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