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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

[旧サイト記事]「RPGはもう古い」ですか? ~昨今ゲーム進化に対する危機感~[2019年6月再掲]
 こちらは、文月あずさ@JADE RINGS 名義で運営していたWEBサイト『翠輪堂―Azusa's創作工房―』内ギャラリーページ(【檀林】)、及びその前身サイトである『バルトロメイ・アジトへようこそ!』に掲載していたコラム記事の再掲になります。前掲サイトを置いていたinterQ及びiswebの無料WEBページ作成サービス終了に伴い消滅していた状態になっておりましたものを、2019年6月に再UPし直しました。
 その際、書いた当時の私自身の思考・思想、知識量等を読み手に伝えられればと思い、投稿日付の設定をかつての掲載日に合わせておりますので、予めご了承下さい。人名等、明らかな誤りがあれば訂正・補遺を行うつもりではありますが、それ以外は(文体装飾も含め)可能な限り修正を加えない形で掲載させていただきますこと、ご理解いただければ幸いです。
▼ちなみに、こんな感じのサイトに載せてました(HDDからサルベージした姿サムネ化)

こんな感じのサイトで載せてました

いや~、11月半ばから怒濤の新作ラッシュが続いていますね>ゲーム界。特に11/29のラインナップは「なんじゃこりゃあ!」と殉職したくなるイキオイです(←死ぬなって)。っつーか2001年上半期ネタ薄すぎと思うのは気のせいでしょうか?(話題上っていたのが鬼武者くらいだったからな~。あれはパンダがかなりオイシイ。私の中でパンダゲー扱い(←非道))個人的には真三国無双2が大ブレイク。RPG・SLGしか手を出せない文月さんが、久々にアクションゲーに手を染めてしまうくらいにはブレイクです。アヤシイ4コマネタ大量噴出してくるのはちょっと秘密。FF10やってもいないのにACTばっかに目移りしてもーどーしょもないって感じです。

 ちなみに年末攻勢の中、文月さんが特に注目したのはMGS2ことメタルギアソリッド2。いや、実は自分で買ってなくて(←へたれ)友達がゲットしたのをちょこっとやらせてもらった程度なんですが。ゲーム自体、へなプレイしか出来ないので、頭良くなった敵陣営にすぐ囲まれて蜂の巣になることしばし。タイマンでホールドアップさせて麻酔銃、というのはそれなりにやれるんですが、それじゃボス戦できないだろ…とかいう危機感バリバリでいたりします。

 ところで、なんでこんなところにMGS2のネタふっているか、というと、スネーク編・雷電編のOPやらイベントシーンやら両方とも見て、それはそうとしてゲーム楽しんで「あ、こりゃやばいかな」と思ったんです。何がってもちろんXenosaga。これはMGSを初めて見たときも思ったことなのですが、「あ、勝てないや>RPG」と思った面がしばしあったりするのですわ。あんましいろんなゲームやってない身でこーいうこと言うのもアレですけどね。自分の知っている世界の狭さ+未熟さを認識した上で敢えて言わせてもらいますわ。

 ムービーではなく3D演算でイベントシーン、というのは、ストーリーテリング型CRPGではあまり見ないけれども、実は前作MGSから小島監督が貫いているスタイルであったりします。RPGでnotムービーイベントだと、カメラ視点が変わらないままで、○ボタンでセリフを進めて……って型が多いので、ある意味斬新かも、と思われているみたいなんですが。ま、もっとも、イベントとCF(Control Free)でのCGの質の差を持たせた(というか持たせざるをえなかった)というのはサーガの作り手さん達も認めている点なので、その差異に関してはこれ以上ツッコメないかな~とは思っています。出来ればその境界をなくしたい、その上で質のいい画質でやってもらいたいというのはゲームの作り手さん共通の思いだからね。ただ、やっぱり処理能力の点で限界があるんだとは思います。無双なんて処理するキャラ数が多すぎて、よく敵がステルスするしな(泣)

 それと、試遊のジギー編(プレロマ編)やっている最中、CF場面において「あ、なんかMGSっぽい」と思っていたのも事実。ステルス迷彩はまあ置いとくとしても、RPGでの接触エンカウントなんかはサガフロ(SQUARE)とかジルオール(光栄)とか用いている手法なので、特に目新しいってわけじゃないけど、自分に対する敵の指向性がなんかMGSに近いなという印象がありました。視界に入るとおっかけてくるタイプっていう点でね。視界レーダーも然り。ま、他人のよいところを真似るのはかまわないが、これでデザイン著作権訴えられたらどーするんだろとか思って特許図書館に確認しに行きたくなる今日この頃(笑) いや、多分大丈夫だけど。

 でも何より、ACTゲー苦手派の自分がこれほどMGSに関して意識してしまうのは、やっぱりそこに描かれている綿密なストーリーと、その綿密さに対置することの出来るゲーム性にあると思います。早い話が「イベントシーンが苦にならないくらいのボリュームのあるゲーム部分」。昨今のRPGで多用されるムービーシーンって、言ってみればそれまであった強制イベントの発展形であって、その強制イベントの部分にまでたどり着くこと=ストーリーを進めること、ってな感じでゲームを進めていくのがRPGと見なされていることが多い最近のユーザーにとっては、実はゲーム部分のボリュームが厚い作品って、消化不良を起こしてしまうものなのかもしれないな、と。それゆえに、RPGではシナリオ部分を強化する代わりにそういった「作業的」な部分をどれだけ軽くストレスなく進めさせるかに重点をおいて作品作りをしているように私には思えます。例えば最近リメイクされたDQⅣ。第一章やっていて「アレ?」と違和感感じたくらいには、レベル上げ作業が甘くなっていると思うんですけど……気のせい? だって、ファミコン時代にやった時は確か、スライム一匹一撃で倒せるようになるまで城の周りでレベル上げ作業した記憶があるのですが、今のライアンさんはなんだか強め設計らしくて(元々他の章のキャラより弱冠強めにはなっていたけど、それがさらに強くなった感じで)、特に苦もなく洞窟一本越えて次の村まで行けてしまったので(ちなみに洞窟越えた時点でLvが3くらいだった気が…)。これって昨今のRPGの傾向を顕著に表しているんだと思うの。でもそうすると、実はRPGって「見せるイベントシーン」すなわちプレイヤーが操作できない部分が主眼になってしまって、ゲーム部分は二の次ってこと、にならない? とすると「ストーリーを見せるだけなのになんでゲームという媒体を用いる必要があるの?」という疑問が生まれてくることになる。……いや、確かに各種パラメータやらなんやらの処理は、コンピュータに演算させた方が楽だけどさ、そんなもの切りつめれば「人間様にも処理可能」なんですわ。パラメータ組むの人間だもん。TRPG好きの人間だからこそ出てくる発想かもしれないけど、「ストーリーがメインならば、別に高性能のマシン使ってゲームという媒体として構築しなくてもいいんじゃないか?」と思ってしまう。小説やマンガやビデオなんかだったら、ただのレベルアップ作業に時間を掛ける必要なしにいろんな話が楽しめるものね。「CRPGでしか楽しめない」って反論があるかもしれないけれど、「それがTRPGで代用できるか?」って考えると……実は意外と代用可能なものが多いんだよね。システム面然りパラメータ面然り。だから、正直CRPGの優位性はあんまり感じられません。強いて言えば「近所に仲間がいなくても出来る」ことくらい……?(意外とそれが大きいのも事実だったりはするんだが)

 だから最近、これだけ質のいいACTが大量勃発していく中で、極論言えば「○ボタン連打で事が済む」RPGって、ゲーム部分をしっかりやりこむ人達によって淘汰されていってしまうのでは? と思っています。特にゲーム的ゲーム(ストーリーは二の次でとにかく「遊べる」作品)を好む人からすれば、「見ているだけならOVAで十分」とかいう感想を持つことが多いし。かといってそれまでRPGが売りにしていた「深いストーリーを描ける」という点は、実はACTでも十分に表現可能(ただしそれをやっている作品が少ないだけで)だというのが判然としている今、RPGというジャンルは何を売りにしていくのか、正直難しい。かといって、ブロードバンド時代だからってオンラインTRPG形式に移行する場合もままあるんだけど、可能性としては低いかな、という気がする。オンラインなんてある程度環境を整えられるオトナじゃなくちゃ出来ないじゃん、小さい子は自分ちのテレビ占拠するのでせいいっぱいでしょーが。世の中すべからくブロードバンド&オンライン化という話には思わずそういうツッコミ入れたくなるオレ様。ネットなんてインターネットランキングで十分じゃあ!(←未だに月4時間制限でしかネットに繋げない経済力しか持たぬ者のひがみが30%くらい入っていると思われる(汗))

 個人的なこと言っちゃうと、私はXenosagaに関しては「読み物を読む感覚で楽しむ」つもりだから、正直ゲーム部分は「退屈しなければいい」程度にしか考えていない。とりあえずちまちま敵とドンパチやって、それなりに経験値稼いでレベルアップして…というレベルで十分。そこにちょっとお遊び要素とか、ちょっと頭使う要素とか入ってくると「してやられた!」って膝叩いて、それはそうとして続きをやる、そういうゲームスタイルでいると思います。だから、「誰それのエーテルは利くけど誰それのは利かない」くらいの戦術レベルでいいと思っている。なんだっけ…ゼノギで「いや……して……」って言う敵。あれには久々にやられたなあと思った。多分その程度。それじゃゲーム界発展しないよな~とか思いつつ、そういうぬるいゲームもあった方がいいよな~と思っていたりもしている典型的ライトユーザー。とりあえず何も考えずに□ボタン連打で斬っていれば勝てる無双2のEasyモード的な感じとか。ゲームばっかやっているわけにはいかない身になりつつある今日この頃としては、テクを磨くことを要求されるゲームはキツイようです。ほら、年だし(笑)(それを考えると「俺の屍を越えてゆけ」の難易度システムなんて、RPGからすればかなり邪道の域だろうが、むしろ私は「よくやった!」と思う。暇なゲーマーならともかく、社会人ゲーマーだったらそんなに深くやってられんもんね。それなりにテイストを味わうんで十分な人にはちょうどよいと思うんです。誰も彼もが寝食生活吹っ飛ばしてヘビィに遊びこなせるまでいかないと駄目なゲームなんて、ゲーム世代がどんどん広く浅く増えていく中で、逆の意味で淘汰されちゃう気もするんですわ)

 ふと思ったのだけど、実は小島監督と高橋監督の目指している地平って実はかなり近いものなんじゃないかな、って。(小島監督ファンからすれば「■の未完成ゲームと一緒にするな!(怒)」だろーがままご寛恕を)片やひたすらハリウッド的な映画っぽい演出を目指しているのに対して、片やひたすらアニメの長編大作という感があります。(なお、自分の中で「映画>アニメ」という図式は成り立ってはいないのだけ了承して読んでいただけるとありがたい)< 共に、自分の描く作品世界を見てもらいたい、ゲームはそのための手段であり、ゲーム性とストーリー性の関連がつながっているように見えて実は別個の次元として存在している、ゲームであることも捨てたくないけれども、むしろゲーム部分は作品世界に彩りを添えるものでしかないような気がする。銃撃の最中でカクテル瓶が飛び散るようなリアルも、フィールドの罠に敵があっさりハメられるデフォルメも、世界を見せるための演出に過ぎない。両者の描く作品にはそういう印象があります。

ACTとRPGというジャンルの垣根を越えて、この両者が描く二通りの世界観はこの後どう我らゲーマーに受け入れられていくんだろう、そしてどう較べられていくのだろう、それを考えると、非常に興味深いものがあります。「綿密なストーリーを描く=RPG」という図式は既に崩壊しているものとして、RPGは一体その姿勢からどんなオリジナリティを演出していけるか、もしくは新たな道を模索することが出来るのか。「ストーリーのよさ」に安住しないRPG、ゲームとして楽しめる上にストーリーも堪能できるRPGが、遊べたらいいなぁと思う昨今の文月さんなのでありました。……昔から比べれば大分要求度が高くなっているな~、でもそれだけのものを実現出来るスペックまでハードが高められちゃっているものね、頑張れゲーム制作スタッフ!

(※それはそうと余談だが、はやいとこ「ゼノ」って単語に特許申請出した方がいいぞぉ~>モノリス。「エムブレムサーガ」の二の舞で裁判やられるのは正直ユーザードッキドキよ~ん♪ あ、そうそう、卯月紫檀(推定)の眼鏡+黒髪ロンゲ&アベル(推定)の前髪にも意匠登録申請しておくんだぁ~(笑)(ティアサガ訴訟も、裁判レポートをあちこちで見ている限り、争点がゲームシステムの類似性ってところはまだしも、キャラの髪の色まで及んでいるところなんか「なんだかなあ」という部分で争っているような気がしてならんですハイ))

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