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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

七つの大罪は実は八つなのか。~枢要罪に関する個人的備忘録~
ふと思いついたので自分メモ。
相も変わらずゼノ脳です。

どうみても「七つの大罪(Septem peccata mortalia/カトリック日本語訳では「七つの罪源」)」なのに、なんで8種類の国家的組織があるのかな~、もしかして一つはパンドラの箱の底に残った「希望」とかそんな感じなのかな~というてきとーなアタリをつけて、とりあえず基本の「七つの大罪」見てみんべぇと思ったら、七つの大罪の大本になった八つの罰「枢要罰」なる概念がある そうでして。

そもそも「七つの大罪」は6世紀後半のローマ教皇グレゴリウス1世によって規定されたものだそうでして。
それ以前にその「枢要罰」を提唱したエヴァグリオス ・ ポンティコスという4世紀末期の神学者がおりまして。その人が言うには、悪い順に「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」、ということらしい。内、「虚飾」が「傲慢」とセットになり、「憂鬱」が「怠惰」とセットになり、それはそうとして「嫉妬」が加わって現在の七つになったとな。
……というのがWikipedia ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%BD%AA /2017/9/8 22:29版)での記載。

ここに出てきたエヴァグリオス ・ ポンティコス(Evagrius Ponticus)なる人物名でとりあえずググってみたら、Utokyo Repository(東京大学学術機関リポリトジ)の『東京大学宗教学年報 ⅩⅩⅠ』(2004年3月発刊)の167頁~177頁に、鈴木順氏という方の論文で「資料翻訳と紹介 エヴァグリオス ・ ポンティコス 『スケンマタ』」 ( http://hdl.handle.net/2261/32458 )というのが見つかりましてん。
ざっくり冒頭だけ目を通してみたんですが、多分ゼノ解析大好き人間には七転八倒するレベルのキーワードがわらわら噴出してきて、キャーとなってしまいまして。
あんまりいい加減書きたくないんで、ここはちゃんと読み込んでから作品に沿って解釈してみたい内容でございました。同著者の他の論文と、出来れば参考文献にも目を通したいしな~。多分そこまでやっていたらそもそもゲームする時間なくなっちゃいそうだしナー(本末転倒)。
まぁ「第二コンスタンティノポリス会議(553年)で異端認定」という単語だけで「あー」となる人はなるかもしれぬ。異端ゆーたら知識<グノーシス>ですわねー。
(そもそも「グノーシス主義」に関してももっと勉強せなあかんやな、自分)

まぁベースが「七つの大罪」にプラスアルファというのは明白なので、元の「七つの大罪」に目を戻すんだけど、その「七つの大罪」、それを象徴する動物やら悪魔やらも設定されていたりするので、各国の紋章もそれに準じたものをデザインしてたりするのかなあ、と思ってみたり。あまりちゃんと見てないけど、そこはきっちりやってくれていそうな勝手な信頼感。

「七つの大罪」だと、鈴木央のソレが今一番ホットかなーと思ったりしますが、そういやブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが出てた映画『セブン』(1995)とかもあったりするねぇと思ってみたり(ホラー苦手なので名前だけしか知らない)。そもそも荒川弘の『鋼の錬金術師』だって七つの大罪扱ってるしなー(鈴木央と荒川弘の対談、あれ、アル戦の2巻だったっけか?(ちとウロ))。


しかし、こうして思うと、やっぱりゼノは、私の中では「他に世の中にある作品へのトビラ」的な位置づけなのかな、と思ってみたり。
見ているだけでいろいろな本や作品を、分け隔て無く読みたくなってきちゃうんだもんね。

そして、その扉となるべきコアの思想哲学を使いながら(しかも、おそらくは、今まで世に出している作品も、その殆どがそれを下敷きにしていながら)、いつも違った物語――エンターテイメントとして描き切る高橋監督のその才能は、この「テレビゲーム」という表現媒体と結びついたこと、こうやって世の中に出てきてくれたこと、その事そのものが本当に(恩寵というニュアンスを含めた)奇跡なんじゃないかな、とつくづく思ったりもするのです。

それを享受する事の出来るありがたさを、つくづく思ったりもするのです。


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