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K家の本棚:読書&鑑賞レビューまとめ (更新中断中)

読書メーター:読書レビューSNS (更新激遅)

東京国際CG映像祭――Tokyo International Computer Graphics Festival――TIGRAF。

 東京国際映画祭の一分科として2002年より開始された、コンピュータグラフィックスを用いた映像表現に関するシンポジウム。

 映画の特殊効果として用いられるそれらとともに、日本においては『ゲーム』というメディアにおいて、映画をも凌ぐ著しい発達を続けている。

 そういった観点から実施された2003年11/4~7開催第二回TIGRAFのうち、2003年11月5日開催「ゲーム特集」のプログラムを一通り観覧し、そしてレポートにまとめてみました。

 このページは、Azusaによる、TIGRAF講演のレポートであり、かつてAzusaの個人サイト【翠輪堂】のギャラリーページ(檀林)にて掲載していた記事の再掲となります。
(サイトそのものはinfoseekのホームページサービス終了により消滅、記事自体もWEBから消滅した状態になっておりました)

 会場では一般来場者による録音等は禁止されており、そのため、Azusaが主観的に取捨選択し、書きとめたメモ、及びAzusa自身の事前知識等がレポートの基本となっております。

 そのため、同じく会場にいた方でも、全く違う印象/違う感想/違う言葉への反応をされており、自分が体験したものとは異なるといった印象を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、その点はご容赦願います。

 それと、もし万が一出演されていた方・公演中に名前の挙げられていた方に関しまして、お名前等が間違っていましたら、大変申し訳ございません。
 間違いを見かけられた方は、Azusa方へご連絡いただけると幸いです。

※再掲にあたり、2015年現時点での追加情報、当時曖昧だった事柄に関しての情報を若干追補しております。
(作品そのものも、おそらく10年前だと覚えてない~というケースも多いと思ったので、Amazonアフィリエイトからの商品画像等を引用して説明に添えております)
2003年当時は「共通言語」だった事柄も、10年経った今では曖昧になっていると思った為行った修正ですが、補った部分はAzusaの私的感想&解説部分だけであり、発言内容に関してはほぼ変更を加えておりません。ご了解いただきたいと思います。





三上氏と渡辺浩弐氏の対談形式。

(三上)ゲーム好きだが、ゲーム作りは考えてなかった。

 デザイン関連で就職活動中、他の所よりも少し給料が高めだったのでカプコンに入社する。

 当時はドット打ちの2Dが主流(『魔界村』の頃)で、デザインをするのとは違う手法がとにかくカルチャーショック。描くこととのジレンマで、社長に「これじゃグラフィックはやれない」と訴えたところ、社長の計らいで「企画」というポストに就く。その当時は、現在のようにプロデューサやディレクターといった仕事の仕分けが出来ておらず、自分で描いた絵に自分でドットを貼るなど当然だった。その社長の発案は、ある意味、プロデューサ職の成立と言ってもよいくらい。

(渡辺)業界でも早い内にカプコンは仕事の細分化を始めていったといえる。

(三上)それは、PS、SSの時代になってグラフィックが成長してくるに従って重要な要素となった。CGも、リアルポリゴンで作るか、レンダリングムービーで作るか、レンダリング画面に空間を置いてどう見せるかを模索する必要が出てきて、プロデューサという立場が、手持ちのグラフィック技術と何をどう見せたいかという欲求とのバランスを取る役回りとして非常に重要になってきた。

 しかし、常々感じているのは、一人でプロデューサーという立場を負うのは非常に大変だと言うこと。ゲームの内部を見ていたい時でも、外部との調整の為に現場の近くにいられないという時が往々にしてある。映画、もしくはアメリカのプロデューサーシステムは、内部を見る者と外部との調整を取る者とがうまくバランスが取れているのだが、日本の、ゲーム業界では、今もってそこがうまくできていない。今まではとにかく作って売っての繰り返しで事が済んでいたため、売れ続けていればいいが、そうでなかった場合、次の開発が出来ないという状況が生まれている。ここで何をしたら幾ら(費用が)掛かるか、といった、現場を一線引いた所で見る人によって機能的に動く部分が必要となってきている。

(渡辺)プロデューサを「育てる」必要性が出てきたと言える。

>>これまでの仕事
>>『バイオハザード0』

biohazard 0 「メモリカード59付」 biohazard 0 「メモリカード59付」
元々はN64用に作っていたが、GC向けソフトにするために画像を書き直し、CGムービーを追加した作品。

CGムービーは外部のクリエイターとの共同作業で行った((株)ロボットの倉澤氏など。ちなみに彼は会場にいたらしい。三上氏が後のシンポジウムで引っ張り出したくてうずうずしていた(笑))

CGムービー部分に関して外部内部の優秀なクリエイターを使って一気に制作を行った。(ゲームの方は時間をかけて着々と作っていたがゆえに、CGにおける主人公の顔の違いが描き手によってはっきりと表れてしまったという事があり、その描き直しで大きく時間を割かれたという問題点があったため)

>>『クロックタワー3』
CLOCK TOWER 3 CLOCK TOWER 3
 元々はカプコンの作品ではないが、そのコンセプト(前作と同じ殺人鬼・追い回されるというシチュエーション)を忠実に再現。但し、シナリオの書き込みが深くできるようになった。

 ムービー及びハイポリゴン部分の演出監修として、映画界の大御所・深作欣次氏を起用。しかし、深作氏はCG制作の事は全く知らない人間。そして大御所。故に頑固(笑)。映画撮影同様の手法を本作でも持ち込んできた。

 モーションキャプチャーに対して「演技しかないんじゃないのか?」と鋭いツッコミを入れ、それゆえに、CGそのものよりも「動き」に比重を置いた作品制作が進行していった。

 従来のモーションキャプチャーでは、例えば、扉を開けるシーンなどは、役者がパントマイムでそれらしくやっていたのだが、監督は実際の小道具を使用。ベッドの上を転がるシーンなども実際にベッドを置いたりと、実際の動作をそのまま再現させる方式を採る。

 さらには、動きを撮るだけのために何百人といった役者を使って本番さながらの撮影を行った。

 カメラもアングルを数ヶ所に置いて回し、映像を編集してカメラコンテを作る、映画を撮るのと同様の方法が用いられた(しかもカメラマンは深作組の、それこそ深作氏の手足のように動くカメラマンを使用)。

さらにはゲーム内部の動作にも手を入れたがったが、それは丁重にお断りした。
(ンな事やってたらこっちが大変だしね~)

 こういった手法は今までゲームでは全く行われておらず、ある意味ゲーム制作のやり方が180度全く変わってしまうほどのインパクトがあった。

(編注:その深作方式がある意味その後のモーキャプに大分影響を与えているのではないだろうか、と愚考してみたりする。2003年7月21日の第二回モノリス発表会で見せられた跳び箱使っての三角跳びモーションのキャプチャリング等、まさにそういった体験があって得られたはずのものだと思うし)

そして深作監督の凄いところ、それは徹底した現場主義。
定時になったら帰ってしまうお偉いさんとは違い、彼は三上氏が関われなかった時間も含めて撮影の全てに存在し、役者の全てに関わり、全てを掌握していった。
(ある意味、「たかが」と評されがちなゲームに対して、彼がそこまでの情熱を傾けてくれるとはこちらは思っていなかった、といった趣旨の事を三上氏は確か言っていた気がする……がメモが曖昧なのでちょっと不明)

(そんな彼の姿勢を見て三上氏は思ったのだろう)「ディレクター」として、カメラアングルからモーションまで決め、遠くからのアドバイスだけでなく、徹底して現場に携わる事が出来る、そんな立場に自分がいるべきだと。深作監督とのコラボレーションは、CG表現の土台として、そういったノウハウが必要だと感じさせてくれた。

 その業界で、「とんがっている人」が、何を表現したいのかを明確に表していて、そして、それが作れるフィールドを準備できたら、最高のものが出来るはず。

 大きな会社で、潤沢な資金で、いい作品<プログラム>を作る意義はこれからますます重要になってくる。

 宣伝・流通も含めてそれらが考えられる人材が必要。

 昔のゲームの作り方というのは、一つ作品を作るために集まった仲間は、それが完成するとそのまま解散し、また新たな作品作りの為に別のグループを作り……というように、常に散会している状態だった。売れる作品があれば、それを作る為の組織がまた一から作られ、そしてそのまま、過去のノウハウを継承しないまま作られていく、そんな状態。

 でも、これからのメーカーは、ユーザーが望むタイトルを作ることと共に、メーカーとしてのチャレンジをもし続けなければならない。

 お金を使いすぎるくらいに使って、いいノウハウを蓄積して、そういうやり方をもっと続けて行けたら、もっといい物が創り出せるのではないだろうか。

 自分たちの作るものの中身を掌握して、スポンサー(メーカー)からお金を引き出して、そういう作り方をしていけたら。

 ビジネスしながら、同時にクリエイティブをしていくのは難しい。

 だからこそ、優秀なクリエイターとどんどんコラボレーションしていって、いいものを蓄積して行ければ、と思う。

 今、ゲームを作っていて一番怖いのは、(メインとなって売れていく)ハードが変化していくのが怖い。(実際、『バイオハザード0』はその影響を思いっきり受けた) そのためには、一年後どうなるかを見越してソフトを作りこんでいくしかない。

 今、ゲーム業界を目指す人は、何か一つだけでも「人に負けない」技術を持っておくべき。この業界で長くやっていくコツはそこにある。

 今後の自分としては、クリエイターとしてはあまり同じ物を使わず、どんどん新しいものを作っていきたい。それ故に、汎用性のあるミドルウェアは、新しいことをやるときには障害となるためにあまり使っていない。

*******

(Q&Aで、カプコンから出ている『カタン』に関しての意見を求められて)
カタンの開拓者たち スタンダード版 カタンの開拓者たち スタンダード版
<<編注(2015補遺含む):『カタン』:
元々はドイツ玩具メーカーKOSMOS社によるボードゲーム『カタンの開拓者(Die Siedler von Catan)』。元々日本ではメビウス社が輸入販売を行っていたが、日本語翻訳の版権をカプコンも取得して、ボードゲームと同時にPS2用オンラインゲームを展開していた(但しオンゲ版は2003年にβテストをやったのみで、結局配信される事は無かった)。
1995年に ドイツ年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)及びドイツゲーム大賞(Deutscher Spiele Preis)1位を受賞した高名なゲームで、資源を使って開拓小屋を発展させていく四人プレイの陣取りゲーム。やることは単純なのでパーティゲームとしてオススメだが、悩んだり交渉でモメたりすると軽く1時間は持って行かれる(経験談)。
元々をドイツ語輸入盤でやってきたAzusaとしては、カプコン版の日本語訳がどーにも馴染めなくてつらかったり。「最大騎士力」ってなんだよ! ドラリッターはドラリッターだろ!!(注:盗賊を追い払う特殊カード「Ritter」(要するに騎士)が3つ(dri)でドライリッター→身内用語でドラリッター。決して麻雀用語ではない(笑)
余談だが、2004年には、ロックマンをあしらったロックマン版が世の中に存在したそうなのだが、そんなことWikipedia様に教えられるまで知らなかったヨ。...つーか、あの世界をロックマンって、どーやって……(遠い目))>>


◎CGゲームとアナログゲームとの違い
 CGゲーム:見て楽しむもの
 アナログゲーム:古くさいけど、久々にやったらとても新鮮。
     それ自身の持つ基本性がクリエイティブ部分にっってかなり影響を与えてくれる。
       遊びの本質がなかったら決して成り立たないもの

 CGゲーム:遊びの本質のプラスαとしての映像
      中身と外見が一致している作品がベスト。

◎アナログゲームをデジタルゲームにする意義
ゲームにおける流れ
・大作指向:いろいろなバリエを作れない
・ネットゲーム:(ゲームそのものより、回線を繋いだりなどが)非常にめんどくさい。
(そこをうまく繋げたらゴージャスな作品になるが)
←そこに対して、「カタン」という昔のゲーム(アナログなゲーム/単純なゲーム)にはまる人々がいる。

込み入ったゲームと単純なゲーム、その両極の楽しさをどうやって繋いでいくかが大きな課題

(渡辺)誰でも遊べるが、マニア向けの(極める系の)遊び方も出来るものを創り出すのは、(難しいかもしれないが)可能ではないのか?

(三上)それはチャレンジとして必要な部分の一つ。

>>大作と呼ばれる作品について
ゲーム業界で言う「大作」とは、人数規模100人くらいで、2年くらいをかけて作るもの(金額に関してはまちまちなので言えないが)
ただ、ハリウッドなどの映画の場合、150億円くらいのクラスでやっている
(うち、特撮やCGにそれぞれ50億ずつかけられている)
(日本では映画で10億もかけたら、それだけで「大作」)
それゆえに、ハリウッドではハイコストの超大作ととローコストの作品とで階層が分化してきている。

ハイコストでも、たくさんの人が楽しめれば大丈夫なものを作ればいい、というのと、ローコストだが映画として最高のものを作ろうとする二極分化状態。

ゲームの本質は、シンプルだけれども面白い物

>>映画では監督の作品かスタッフの作品かで問題が起こることが多々あるが、ゲームではどうなのか

結局、そのスタッフがいなければ作品は成り立たない。だから「誰の作品」とは厳密には言えない。
ただ、日本の監督の場合、定時で帰ってしまう人が多いが、アメリカの監督は自分がトコトンやるところまでやる。そこらへんを考えると非常に難しい。


第二回TIGRAF Azusa's観覧レポート


■1:モノリスソフトの世界 ■

 □1’:モノリスソフトの世界 □

■2:スクウェア・エニックスの世界 ■

■3:カプコンの世界 ■

■4:水口哲弥の世界 ■

■5:スペシャルシンポジウム ■


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東京国際CG映像祭――Tokyo International Computer Graphics Festival――TIGRAF。

 東京国際映画祭の一分科として2002年より開始された、コンピュータグラフィックスを用いた映像表現に関するシンポジウム。

 映画の特殊効果として用いられるそれらとともに、日本においては『ゲーム』というメディアにおいて、映画をも凌ぐ著しい発達を続けている。

 そういった観点から実施された2003年11/4~7開催第二回TIGRAFのうち、2003年11月5日開催「ゲーム特集」のプログラムを一通り観覧し、そしてレポートにまとめてみました。

 このページは、Azusaによる、TIGRAF講演のレポートであり、かつてAzusaの個人サイト【翠輪堂】のギャラリーページ(檀林)にて掲載していた記事の再掲となります。
(サイトそのものはinfoseekのホームページサービス終了により消滅、記事自体もWEBから消滅した状態になっておりました)

 会場では一般来場者による録音等は禁止されており、そのため、Azusaが主観的に取捨選択し、書きとめたメモ、及びAzusa自身の事前知識等がレポートの基本となっております。

 そのため、同じく会場にいた方でも、全く違う印象/違う感想/違う言葉への反応をされており、自分が体験したものとは異なるといった印象を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、その点はご容赦願います。

 それと、もし万が一出演されていた方・公演中に名前の挙げられていた方に関しまして、お名前等が間違っていましたら、大変申し訳ございません。
 間違いを見かけられた方は、Azusa方へご連絡いただけると幸いです。

※再掲にあたり、2015年現時点での追加情報、当時曖昧だった事柄に関しての情報を若干追補しております。
(作品そのものも、おそらく10年前だと覚えてない~というケースも多いと思ったので、Amazonアフィリエイトからの商品画像等を引用して説明に添えております)
2003年当時は「共通言語」だった事柄も、10年経った今では曖昧になっていると思った為行った修正ですが、補った部分はAzusaの私的感想&解説部分だけであり、発言内容に関してはほぼ変更を加えておりません。ご了解いただきたいと思います。





(ここからは第二部、別料金(笑) ただ、前者が会社に依存する形のクリエイターだったのに対し、彼は先月(注:2003年10月)会社(セガ)を辞めたばかりの、クリエイターそのものによる講演となる。

TIGRAFの河村氏は、「本会で一番最初に個人名で『●●の世界』と付けるのなら水口氏しかいなかったのでちょうどよかったと評していた)



※これは私見になるが、水口氏の語る言葉は非常に感覚的かつ高密度で、いろいろ考えさせられる部分が多く、それゆえに、その全てをきちんと書き取れたかどうかは不明である。正直、文字通り「メモ」程度にしか書き取れてないものであるが、そこから彼が伝えたかったことを少しでも感じ取ってもらえれば幸いである。

ただ、彼は元々ラジオ等でしゃべっているだけあって、一人で大衆に”語りかける”技術に関しては、他のどのコメンテーターの追随も許さないものだった。




●水口氏自身が振り返る、自分のゲーム制作人生

まず最初にアーケードゲーム(レースゲーム)を手がける
 →遊びの質が変化しないと遊びの質が向上しない事を痛烈に感じる

アーケードゲーム:コンシュマーゲームのように情感に訴えるものを作ることが出来ない
         ゲームセンターでストーリー的な盛り上がりを味わうのは難しい事に気付く
→コンシュマーゲーム作りへと転向

”カジュアルユーザー幻想”女性ユーザを取り込むゲーム制作

→『スペースチャンネル5』の制作
スペースチャンネル5
※女性ユーザ:ゲームユーザの中の20%と見られている(現在ではもっと減っている?)←それを増やしたいと考える

重いシリアスよりも楽しく面白く、HAPPYにさせるものを作る

(なお、スペチャン5-2のマイケル・ジャクソンは、本人たってのお願いで出演している)
スペースチャンネル5 パート2スペースチャンネル5 パート2
'97:スペチャン1の大本を作った湯田高志ディレクターよりビデオプレゼンが行われた。

元々はレトロフューチャーな雰囲気を持ち、インタラクティブプレイスタイルを持っていた。
→楽しんでもらえるか不安があったため、要素のそれぞれを分解した上で再構築デザインを試みる。

:たまたま見た幕間劇
……役者と観客との拍手の応答/純粋な記憶力とリズム感だけで両者が一体となる感覚
→それをゲームとして表現できないか
 →ゲーム性の構築:視聴率を得点に換算
  成功と失敗に対する評価:→登場キャラクター達がしゃべり出すようになった
↑こうして構築したコミカルなお遊び部分は、しかし内部ではかなり不評(他の皆はもっとかっこいい感じのする作品になると考えていた)

←かっこいい雰囲気だけでゲームは成り立たないという自分の考え方と反発

「面白い物を/笑える物を作るにはどうしたらいいのか」
 →感情が動くのには”理由”がある
  イメージの推測が笑いの飽和を生む
→”理由”がわかれば、人の心は動かせる

「キメ」「トメ」のメリハリ←笑えるときとかっこいいときと、いろいろある
 「キメ」「トメ」のもたらすむずがゆいような緊張感が笑いを生み出していた
 →感情の”原子”を組み合わせてやってみることに。



『スペースチャンネル5』の目的:女性に好かれる”女性”の創造

 キャラクター:人格を見られている
        外見でその人格を補完して作り上げられている
        男と女でその補完の方法はそれぞれ違う
 ※その当時、藤原紀香が老若男女問わずウケていた。
  しかし、その「好かれるポイント」は各層によって微妙に違っていた


   男性:顔がいい、スタイルがいい等と言った生理的な部分が好まれている
   女性:活きがいい、さばさばしている等といった性格的な部分が好まれている
   お年寄り:こんな孫がいたらいい、という視点から
   子供:こんなお姉ちゃんがいたらいい、という視点から
 ←彼女の微妙な魅力

 逆に、女性に嫌われる女性像「自分の男を盗りそうな女」
  自分の大事なものを奪いそうなキャラは嫌われる

 パンチラは、男性にはウケるが、女性にはウケない、それどころか逆効果になりかねない
 →男に媚びない女性像が必要
→→→「うらら」というパーソナリティの誕生
スペースチャンネル5 ぎゅんぎゅんBOOK
MTVとのコラボレーション企画もあったが、弁護士側が「実際の俳優の仕事が一つ奪われる」と脅しをかけられ、没になった経験も。

ただ、CM映像としてうららは一度MTVで使われた事がある
その時は、こちら側は素材だけ渡して、向こうに編集の一切を任せた

そうしたら、こちらでは行わないようなフレームの詰め方を行って彼女を使っていたため、テレビ向けの画像とゲームとではフレームの詰め方がまるきり違うことをその時に知る
(ゲームでは、キャラクターの気持ちを感じさせるための時間を意図的にとるが、TVではそれらをひたすら省く)
→ゲームから始まったものが、いろんなメディアに広がっていくには深い洞察が必要

日本人のモーションを他国人がやろうとしてもうまくいかない、逆も然り。



>>『Rez』
Rez
ゲームでどれだけ人を気持ちよく出来るか、への挑戦

『スペースチャンネル5』とは全く反対の、超抽象世界の創造

コール&レスポンスの繰り返しで、人はどれだけノる事が出来るのか。



「ゲーム」というメディアは、30~40年くらいの歴史しかない
最初は只一つのドット、それを動かすことから始まり、
次第に線が、絵が付いて、ドット絵が生み出されてきた。
それがCGへと進化するようになって、作り方もその楽しみ方もあっという間に変わっていった。

すごくリアルなものを作っていく活動
ただ”リアル”ではなく”リアリティ”のあるものを作っていく活動


だが、例えば、ハイビジョンの画像は、通常の画像よりも2倍きれいだが、ドラえもんをハイビジョンで見た場合、ドラえもんの”面白さ”は2倍になるか→否
そこには面白さを補完する”何か”が必要


物事には感覚的にすごいものと感情的にすごいもの、その二つがあり、例えば、美人は3分で飽きるように、立体視出来るゲーム(3Dのゲーム)は、たかだが3ヶ月で飽きられてしまう

感覚移入と感情移入

小説や映画では泣けるのに、ゲームでは泣けないその理由

現在ではゲームクリエイターは高いバリューを誇っているが、数年後にクズにならない保証はない。

人の持っている欲求を知ること
 その欲求は、自分に対して
       他人に対して
       環境に対して
        その3つに集約されると考えている

本能を満たす刺激が何かを知ること
 自分にとってはよくても、他人にとってはそうでもないかもしれない

 最大公約数の刺激を、本能的に深いものを、後天的な価値観に縛られないそれを見いだす

 言葉による演出だけではない、それを見いだしていく作業

←それは、かなり苦労しないと得られないもの



会社という組織でしか作れないものはあるが、これからは一人の人間が何かをやろうという時代になると考えている。

第二回TIGRAF Azusa's観覧レポート

東京国際CG映像祭――Tokyo International Computer Graphics Festival――TIGRAF。

 東京国際映画祭の一分科として2002年より開始された、コンピュータグラフィックスを用いた映像表現に関するシンポジウム。

 映画の特殊効果として用いられるそれらとともに、日本においては『ゲーム』というメディアにおいて、映画をも凌ぐ著しい発達を続けている。

 そういった観点から実施された2003年11/4~7開催第二回TIGRAFのうち、2003年11月5日開催「ゲーム特集」のプログラムを一通り観覧し、そしてレポートにまとめてみました。

 このページは、Azusaによる、TIGRAF講演のレポートであり、かつてAzusaの個人サイト【翠輪堂】のギャラリーページ(檀林)にて掲載していた記事の再掲となります。
(サイトそのものはinfoseekのホームページサービス終了により消滅、記事自体もWEBから消滅した状態になっておりました)

 会場では一般来場者による録音等は禁止されており、そのため、Azusaが主観的に取捨選択し、書きとめたメモ、及びAzusa自身の事前知識等がレポートの基本となっております。

 そのため、同じく会場にいた方でも、全く違う印象/違う感想/違う言葉への反応をされており、自分が体験したものとは異なるといった印象を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、その点はご容赦願います。

 それと、もし万が一出演されていた方・公演中に名前の挙げられていた方に関しまして、お名前等が間違っていましたら、大変申し訳ございません。
 間違いを見かけられた方は、Azusa方へご連絡いただけると幸いです。

※再掲にあたり、2015年現時点での追加情報、当時曖昧だった事柄に関しての情報を若干追補しております。
(作品そのものも、おそらく10年前だと覚えてない~というケースも多いと思ったので、Amazonアフィリエイトからの商品画像等を引用して説明に添えております)
2003年当時は「共通言語」だった事柄も、10年経った今では曖昧になっていると思った為行った修正ですが、補った部分はAzusaの私的感想&解説部分だけであり、発言内容に関してはほぼ変更を加えておりません。ご了解いただきたいと思います。



 モデレーター:渡辺氏を筆頭に、モノリスの杉浦氏、スクウェアの直良氏、カプコンの三上氏、そして水口氏が卓を囲んだスペシャルシンポジウム。演目は確か「ゲームにおけるCGの今後を語る」みたいな感じだったはずなんだが、三上氏と水口氏の講演を受けてか、話の流れは、ゲームにおけるプロデューサー論へと。いや、実際、直良氏はどうだかわからんが、少なくとも杉浦氏は、生粋のクリエイター上がりの「プロデューサー」ではなく、日本のゲーム制作環境においては珍しい、映画やテレビで言うような立場の「プロデューサー」だしね。「クリエイターでもない自分が、なんでこの会へ呼ばれたのかがわからない」なんて言ってたところからも、彼は「作り手」ではなく、「作品を世にproduceする人間」として意見を出していました。これはある意味、いいCGを、いい作品をゲーム業界が生みだしていく上で今一番の障害となっているのが、その作品を世に出す為の組織・システムの未熟さ、という事なのかな、と思わせられる、そんなシンポジウムでした。

それでは、書き取りメモの状況からどうぞ。ちなみに( )は主に筆者Azusaによる補遺部分となっています。……実際に発言した事も含めているけど、メモが残ってない部分が主なので。




(渡辺)ゲーム業界=CG業界
でもゲームにおいて必要なのは、クォリティの高い絵を作ることではない
「絵のきれいなクソゲー」という評価は、世の中に確かに存在する評価。


Q:感動したCGシーンは?
(杉浦)ナムコ『Winning Run』('88頃):逆送が出来たりする部分に3D感があった

(直良)『FINAL FANTASY 7』('95):(手前味噌になってしまうが、と前置きした上で)自分たちで作り上げたCGに鳥肌が立った。
それまで2Dで描いていたものを3Dにしたがために、自分たちが描いたものから少し遠のいた印象もあったが、一度やっとけ、と思いやりあげた。
ファイナルファンタジーVII
(三上)ナムコ『リッジレーサー』:急にCGのベクトルが上がった時代だった。『ゼビウス』を初めてやった時と同じくらいのインパクトを感じた。
RIDGE RACERS
(水口)Pixer LightStudioのビデオ等の最初に入るCG('86頃)
(編注:Pixerの一番最初の短編アニメーション『ルクソーJr.』のアレ)
描かれたライトスタンドの動き一つで、そのライトスタジオの片方がお母さん、もう片方が子供だとわかるところがすごい。(ものを「見せる」)基本がそこにある。

(水口)ゲーム:リアルタイムで絵を制御し、見せる技術
その誕生はアニメが原点にある
デフォルメ、感情的に何かを伝える手段

CGをきれいにすることによって、ゲームがよくなっていくわけではない。
(それは、他のメディアがすでに経験してきたこと)

生理的に、本能的に訴えてくる物を作ることが必要

(三上)ゲーム:まずは物を抽象化して表現することからはじまり、ハードの進化によってリアルになっていった

ゲームは(表現手段としては映画やTVと違ってたかだか30年ぐらいの歴史しかない)生まれたばかりのもの→今いろいろな事を試している最中

ゲームで泣けるものは少ない
たまにそういうものがあったとしても、ボタンを押すことですぐにリリースを余儀なくさせられる

感情的に揺さぶるもの:こういう人達に届けたい、として演出
 →会社によって風味が出てくる

(直良)自分が「おっ」とひっかかったものが、他人にとってどう見えるか
普段、自分が(どんなものに「おっ」とひっかかるように)出来上がってきているか
→・そういったものをあざとく狙っていく
 ・共通言語を増やしていく
 ↑それぞれを持つ物を積み重ねていく

ゲームを作ること:昔は、色数を減らしたり増やしたり等で一生懸命だったが、現代では、もっと(一線)引いた立場で(作品を眺めて)やっていけるようになった。

(杉浦)現在、自分の会社では、スクウェアに負けじと、大会社にいた時にできたコストがない状態で作品を作っている。その戦いは今でも続いている。

(編注:スクウェア(エニックス)の中でもいわゆる「ナンバーズ」(シリーズを重ねているソフト。FF等)に携わっている直良氏が、そういう「余裕」をもった状況で作品制作が出来る、ゲーム制作の現場でも特別有利な場所にいる事を指摘する意図を持って言ったと思われる。現に、杉浦氏は、「ナンバーズ」以外に着手し、その表現を支持されつつも、その次に取りかかれなくなった高橋氏をスクウェアから「脱藩」させて会社設立を行わせた立て役者であり、そこまで余裕の持てない、自分の作品を表現することに精一杯な現場を見ているからであろう)


(三上)ゲームにお金をかけるのが当たり前の時代
だが、それ以外(絵をきれいにするためにお金をかけたソフトを作ること)の部分で壁にぶつかったときどうするか。

自分は、移動時間(大阪の本社から東京へ出てくる時の新幹線)の合間でも、常に素材を探して必死になっている状態である。

(杉浦)ゲームが売れてコストが掛けられるからゲームのCGが進化する

(水口)100億円かけている映画と10億円かけているゲームソフト

掛けているお金に差があるのに売上に大差がないのはどうしてか

ゲームは100億かけると制御出来ない
シナリオが、絵が、キャラがよくても、遊んでみて面白くなかったらダメ

遊びの原型ができていて、それで楽しめるものが出来れば(売る側としては)そこで安心、というような安定感があるのはFFくらい

それに変わる新しいインタラクティブな物は生み出すことが出来るか

(渡辺)名前がないところから新しいものを作るシステムがゲームでは確立できていない。
どこにどれだけのお金をかけたらクォリティがどうなるか、ということがゲームでは計れるのか。

(三上)(アメリカのゲーム会社)Electronic Artsでは、(たかだか30年しかない歴史ではあるが)既にCEOやなにやらが全て交代しているような状態(=経営に対する思想その他の循環が行われいる状態)だが、日本ではまだそこまでに至っていない。
スタジオとプロデューサーと配給会社がいっしょくたの映画会社のようなもの。
個人の仕事の領域が明確化されていない。
プロフェッショナルなクリエイターにとって、クリエイティブワークに専念させてもらえるような環境にはなっていない。

(水口)(自分は面白さのメカニズムを抽出することに全力を注いできたが)面白さを抽出することが必ずしも正解だとは限らない。
(そういった、一定の道筋が立てられない事が)ゲームの制作論に類するものが出てこない一番の理由。

ゲーム制作においては、ゲームを作ることに対する意思が走り始めているだけの状態で、商業・ビジネス的には大成させられてはいない。
学問的な意味合いではなく、ビジネスのエンジンとして(作品制作を)行える、そういうシステムを、なんとかして作っていかなくてはならない。

ゲーム会社には、回収できるかどうかわからないといって貯め込まれているお金が存在するハズである。
映画では(そういった貯め込まれたものを出しても)なんとかなるが、ゲームでは、そういった事が(幾ら出したら幾ら戻ってくるか)が確定できていないがためにわからない。

(渡辺)ゲーム業界を”まとめる”作業がまだ出来ていないから、それを客観的に判断する機構は作ることができないか。
システマティックなシミュレーションを作ることはできないのか。

(水口)FFくらいの大作ゲームだったらなんとかなるのかもしれないと思う。だが、ゲームは映画と違って技術等が進化しきっていない。
ゲームはまだ進化の途上であり、そこに行き着こうとしている最中。

(直良)FFにおいては、やり方のシステム化がなされていない状態であり、その点でいうと、そのクリエイター一人一人に依存する形で作品が成り立っている。複数のプロダクションがその意見を聞いて、そしてFFという作品を描いて行っている。

(渡辺)その中に「共通言語」の様なもの(意思のすりあわせ機構)はあるのか。

(直良)制作内部では人が行ったり来たりして作っているため、そういう「共通言語」があれば作業はもっとスムースに進むと思う。
また、名プロデューサーが核になってやっていけば、(過去の成功例から)成功度が見積もりやすい。
でも、現状では、FFのナンバーズしか作れないような状況のため、新しいものを作りだしていけるようにしてほしい。

だが、下手に共通言語は増えすぎると、、後の人間はそれの上に乗っかっただけで事が済むため、新しいものを作るのを面倒がる傾向がある。だから、新しい人達は、それらを下敷きにする事から始めないでほしい。そういったものの上に胡座をかいて安住するのではなく、新しいものを作り上げていってほしい。

(渡辺)例えば日本の漫画制作は、そういったものがシステム化出来ずに、描き手一人の技量に頼る形で、その人に負担を強いる形で出来ている。海外ではそういったものはシステム化されていてきっちりしているけれども、だからといってそちらのものよりも日本のものの方が面白かったりする。

(直良)そういった(個人技量に依存する部分とシステム化する事と)そのバランスが非常に大事。(それらを模索していく過程に於いて)時々新しい発想が出てくる。

(水口)面白さの二極化

今のFFとテトリスは同列に比較することができるか。
FC時代は普通に行われていた。では今ではどうか。

インタラクティブ(こちらから手出しを出来る状況)か、そうではないか(シナリオ・ムービー・音楽への特化)
でも、それらでは、演出のしどころが全く違う。

マンガにもっと何かをプラスしたら、必ず面白いものが出来ると言えるか:否。
ゲームはもっともっとよくなるか。
下手したら、(漫画に何かを足して、その漫画の面白みを台無しにしてしまうような)そんな悲劇が起こらないとも限らない。

ただ、○○風などといって固定化するのが当たり前になったら、新しいものにチャレンジするという力がなくなってしまい、ゲームというジャンルは衰退してしまう。そうならないよう、ゲームには、この状況からの修正がまだまだ可能なはず。

(三上)でも、(企画書の)紙切れ一枚で10億、20億出せる会社(スポンサー)はいない。
ポンとお金をかけてどのくらいのものが出来るかは計りかねる

(杉浦)お金がかかる手法のゲーム(CGのきれいなゲーム)を作るがゆえの苦労

会社設立当時(1999年)、PS2が発表された頃で、どんなものができるか不明だった。そんな中、モノリスソフトが取った方法とは、
・予算表をしっかり作る(予算をどのように使ったらどれだけ儲かるか、という試算表を作る)
・スタッフに「こういうものを作る」というのをしっかりとプレゼンする。
(自分はこのやり方で10億(クラスの予算)を2本引っ張ってきたと宣言)

(三上)実際にそういった事(予算表の制作等)を行えるプロデューサーは少ない

(直良)(予算表などが作れないのは)基本的にゲームのスタッフというものは、(グラフィックなりプログラミングなりの)スキルを買われてスタッフになるため、商品企画という観点からアプローチを行えて、且つ現場に対して意見を言えるような人はいない。

(三上)プロデューサは、自分が(=自分の手腕で)儲けた仕事に対しては、(通常の給料とは別に)インセンティブをもらうくらいでもいいように感じる。

(その点で行くと)杉浦氏の場合、自分で会社を起こし、(作品に関して、商品企画的な観点からの)プレゼンが行えていてすごいと思う。

会社にいれば(=会社という組織に所属していれば)、「こうすれば大作になる」というだけでなんとかなるが、それ以上を目指そうとした場合、社内外へのプレゼンが必要となってくる。

(水口)現在、(ゲーム業界で言うところの「プロデューサー」は)プロデューサーとスタジオ経営の両方を同時に任されているような感じ

その点、例えばハリウッドなどでは(経営と制作とスタジオ運営が分業されているように)なるべくいいものを生み出すべく、効率的なシステムが構築されている。

プロデューサーその人が、頭の中で、自分が作りたい作品をどれだけイメージできているか。

制作過程の途中でそれをロストし(=見失い)がちになるので、そうならないよう、(自らを、そしてスタッフを)ナビゲートしていけるかどうか、(元々作ろうと思ったものの)面白さをキープしていけるかどうか、等が大事

客の要求度が上がって行くに従って、プロデューサの仕事が肥大化していく。

その肥大化したサイズの作品を作ろうとする人間が、(その作品を作れるように)進化していけるかが非常に大事。

「これが出来るのなら、これだけお金が出せる」という水準があっていい。

クリエイターの知名度だけで売っていく場合、もしそのクリエイターで一度でも転けたら、その続きは決して行えず、後続で作っていこうとする人間が非常に迷惑をする

(自分たちが作り上げる作品に対し)どこまで(完成度を)見切れるか。
一人の監督がそれをするには限界がある

もっと客観的な視点と主観的な視点との間での評価を繰り返して検証していくことをしていかないと、ゲームのバジェッド(社会的・世間的価値、品質)が下がっていくかも知れない。

(ゆえに、そういった問題について)ちゃんと考えていく必要がある。
「(完成度を)見切る人」と「(作品制作をリードしていく)走り役」、「(作品の基盤を定める)固め役」等といった機能を決めていくことが必要
クリエイティブ部分と経営とを分離していく必要性
アメリカ(映画)では、経営者とクリエイターの権益がうまく別れて成立させられている。

(杉浦)プロデューサ≠クリエイター
           =ディレクター
 プロデューサー:興行的なものを考える人を指す
プロデューサーがクリエイターとして脚光を浴びせられるのは何か違うと思う(現に自分はこの講演においてクリエイターとして呼ばれた事に関して困惑を覚えている)

プロデューサーは社長として、クリエイター(スタッフ)に給料を上げて食いつながせるのが仕事

(水口)ゲーム業界においては、そういう住み分けが出来ていなくて、(プロデューサーの担うべき立場が)自然発生的に出来てしまった部分がある。

(杉浦)映画においては、クリエイティブとプロデュースと配給とを区分して、それぞれ仕事が行われている。

(直良)自分はそういう考え方にはならない。というものも、自分は現状の、権威が存在しないということがこの業界の魅力だと考えているから。
そのクリエイターの色(特色、カラー)で、(クリエイター自身の)名を(誉れを)出していけるというのがいい感じの業界である。
だから、次世代のスタイルは(何が受けるかなどといったことは)想像することができず、それゆえにどんなものが必要となるかわからない、そういうところが自分たちとしては面白い。

(編注:それは、直良氏が、自分の意見をストレートに通すことの出来る結構恵まれた環境/地位にいるからではないのだろうか、という反論が出そうな、一触即発の空気が、刹那かいま見えたような印象を受けた。この時点でシンポジウム全体の雰囲気がなんとなく、巨人スクウェアとその他、(興行的には)常勝組VS負け組(なかなか「勝ちあがれない」組)というような、持つ者と持たざる者の意見対立的に見えてきたような気がする。ただ、真っ向から火種を蒔いたのが、大分前の段階で「大会社の安心した基盤はないけれども頑張って作っている」と発言した杉浦氏である印象も否めなくはないが)

(三上)会社側は(シリーズを重ねている)ナンバーズタイトルに頼って、「なんでそれをもっと早く出さないんだ」等と発言することがある。
別のタイトルを出そうとしても難色を示すことが多い。

(杉浦)クリエイターに対してクール(冷静)だが、クリエイターの作りたい物に対する意見が出せる、クリエイターの作りたい物を理解しつつ、それに対して資金を引き出させられる、そういう立場の人間が必要。(自分は、(クリエイターという立場を一線離れている人間であるため)そういった事が出来る人材である、との売り込み発言も)

(三上)新しいものが考えられなくて、いいものがガクンと減ってしまう可能性が出てくる。

(渡辺)なんだかわからないけれども楽しそうだな、と思える物に対して、会社側がただその直感だけでお金を掛けられるかどうか。例えば自分たちが会社側だとして、クリエイターがそういった企画を持ってきた時に、紙切れ一枚でポンと10億出してやれるかどうか。

(三上)そういった(自由な発想を拒まない)ものを、やらせられるような状態に持っていけるか、(上に立つ自分としては)それが非常に悩み。
「これがダメだったら自分は仕事を辞める」くらいの覚悟を持っているプロジェクトであればやらせようという気にはなる。

(杉浦)モノリスでは「プリプロダクション」制度を導入している。
物を作るための準備期間を設け、それの成果如何で予算を割り振っている。
設定作成などの準備段階ではそれほどお金は掛からないので、その分の投資を必要なだけ行い、その成果を健闘する。
プリプロダクション段階で、どんなものになるかはおおよそ見える。

(三上)モノリスのような新進の会社ではそれが出来るが、(うち=カプコンのように)昔からやっているような所はそうはいかない。

昔は、ゲームは出せばある程度は必ず売れたが、現在ではそういうふうには売れない。

ただ、(モノリスのように)プリプロに大量投資をして、それがうまくいかなかった場合はどうするのか。

(水口)一社だけしか選択肢がないのだとしたらそうだが、自分の所でとにかく作って、他で買ってもらえるシステムにすれば、それが一番安全。

もし「作って欲しい」という会社からお金をもらって作った場合、もしそこで実際に買ってもらえなかった場合、1,000万円でもなんでも返さなくてはならなくなるだろうけど、でも、アイデアは他の所でも生かす事は出来る。

(編注:「そういう真似は、ボクと直良さんにはできないな」と笑う三上氏に水口氏が曰く「それじゃ、会社辞めちゃえば?(笑)」なんて一幕も。)

(三上)結局、「作った」→「売った」な感じがずっと続いている。

(杉浦)プリプロダクションは採算度外視で行ってはいるが、プリプロダクションそのものだけでは儲けることは出来ない。その後、本プロダクションに移行できるだけのものを(会社側から)もぎ取る努力が必要。
1億もらってプリプロダクションしてみせて「それじゃ残り9億よこせ」くらいの感じで。

(直良)スクウェアの場合、まずプレゼン段階で会社側の承認をとって、それから再プレゼンを重ねていき、少しずつ修正しながらリリースしている。


(編注:この「修正」というののニュアンスが、編集していて非常に曖昧な意味だなという事に気付いた。「自分たちの描きたい形に」修正するのか、それとも「(自分たちの路線とは反対方向になろうとも)売れそうな路線」へと修正するのか。これによって、この発言は180度違った意味を持つことになるように思える)


(三上)カプコンの場合、制作過程に対してマイルストーン(どれがどこまで出来たかの指標)を予め作っておいて、それに基づいてのチェックを行う。

ただ、チェックを行う人間は同じ開発スタッフの一員であるため、お互い制作の苦労などを慮ってしまい、その人のスタンス(純粋に思った事、意見)をはっきりさせることが非常に難しい。

(直良)昔、田中氏(編注:旧スクウェアの立ち上げの頃からのスタッフである田中弘道氏の事と思われる)が「面白いかどうかわからないものはとりあえず出してみよう」というスタンスで臨んでくれたので、それが非常にありがたかった。

だが、現在では(わからないけど出してみよう、とわからないからやめておこうという)両極が混じった状態での経営が行われている。

(渡辺)最後に、今後の作品作りに対してどんな態度で臨んでいきたいか。どんなものを作っていきたいかをそれぞれどうぞ。

(杉浦)経営的側面と同時にクリエイターとして、作品に関わることが出来れば、と思っている。

それと、今『メタルオブオナー』という作品が日本で売られる事に関して、そしてそれを日本が受け入れようとしている事に対して非常に関心を持っている。
(編注:杉浦氏によれば、『MOO』では、アメリカ兵が日本兵を殺す場面が、何の悪びれることもなく出てくるらしい。ゲーム版『パールハーバー』といったところか)
日本人が逆に真珠湾攻撃のゲームを作ったら、向こうの人はどう考えるか、それを考える事は出来るのか。

そういった点では、ゲームという媒体ではないかもしれないが、インタラクティブな作品として、自分なりの『戦争』を体験して、自分の考え方を提案させるような、そんな作品を作りたい。

(直良)ゲームでも絵でも、とにかくチャレンジを続けていきたい。

(三上)自分の作りたいと思うゲームを理解してくれるスポンサーを手に入れたい。

(水口)(杉浦氏が言っていた)プロデューサー=社長という考え方はズキュンと来た(←心に衝撃を与えられた、と表現したいらしい)。
今、(自分の作ろうとしている作品を理解し、そのために動いてくれる)優秀なプロデューサーが欲しい。

ある意味ユビキタスな、気持ちのよい作品が作りたい。

主役は作家ではなくユーザー。

でも、ユーザー主体のネットゲームではメッセージを語ることが難しい。

(作家主導とユーザー主導)二つの方向性のうち、自分はどちらかというと作家性のあるものを作っていきたい。

(河村)
アメリカでの映画作りの手法では、
 プロデューサーはブレーキ。言う言葉は常に"Don't do it!"
 ディレクターはアクセル。言う言葉は常に"I want!"

でも、インディーズの監督は、他人にブレーキを踏んで欲しくないから、その役割を両方自分で抱え込む。その代わり、資金も自分でちゃんと集めてくる。

ハリウッドの映画史が刻んできた流れは、日本のゲーム界でもいずれは起こる。

会社という組織の中に、プロデューサーもディレクターもスタッフもキャラクター(役者)も全部存在していた時代から、スター役者が会社に対して不満を持って、独立して役者たちだけで会社を立ち上げた、チャップリンのようなUnited Artist社のような形態が起こってくるように、クリエイティブ=エージェンシーがハリウッドを劇的に変えた。だがそれゆえに、ファイナンス的な方面を担う必要の無かった彼ら役者も、こういう形態を起こすことによってそれを必要とするようになった。

現在のゲーム業界においては、観客はいて、その売り上げが評価を形成しているけれども、批評を行う環境がない。

今のゲーム評論家は、自分の好き好みだけでゲームを批評しているという点において、批評家としては非常にレベルが低すぎるものでしかない。
だが、ゲーム界の今後の成長において必要なのは、(固定で作品を見守る)観客、そして、(多くの人の視点を代弁するような、ある程度の客観性を兼ね備えた)批評である。







第二回TIGRAF Azusa's観覧レポート


■1:モノリスソフトの世界 ■

 □1’:モノリスソフトの世界 □

■2:スクウェア・エニックスの世界 ■

■3:カプコンの世界 ■

■4:水口哲弥の世界 ■

■5:スペシャルシンポジウム ■

発売前もう二週間切ったんですねえ、というか既に10日切りましたか。
なんだか山手線で広告出てたりとか、にぎやかだそうでして。

なんかね。自分、ホントこういう時は悲観主義者<ペシミスト>なんで、そういう自分もすごくイヤだなーとも思ったりもするんですが。

でも、こういう事後で言うと後出しジャンケンみたいでそっちもイヤなんで、言いたいことがあるなら今のうちにこっそり呟いておきたい衝動に駆られてしまったり。
ネットでネガティブってあんまり良くないなーと思いつつも、吐けるものは吐いてしまいたい。

(まぁ中途半端に変な拡散イヤなので、140文字鳥ではなく、ブログで、なんですけどね)




(完全に私の中で「ゼノブクロ」というCHOCOさん発の略称が定着してますが、ゼノクロの方がいいのかでも海外版ががががが(悩))

XenobladeX (ゼノブレイドクロス)

2月の間多忙で行けなかったこともあり、一か月ぶりにゼノブクロのサイト行けました。

時間の制約でざっくり見なんだけど、それでもたまり溜まった情報量にニヒニヒ。

まず、自分アバターさんのボイスのキャスティングに妄想が暴走しまくりましたね。
(古武士:田中秀幸→メガネ手に入れられるまではニワカ扱いされそう(笑)/中二病...どうしよう、最近子供のせいでゾロリのアーサーのイメージしかないよ、ほっしー(腹捩)/女子軍人:田中敦子ってそれなんて少佐製造機(爆) 上坂すみれがアホドジ枠ですよ、とか言ったら旦那提督が釣れないかこっそり期待(但し旦那の嫁候補CVは違う人だったショボン))
竹田さんと兵頭さんのSSも、これからめっちゃ楽しみやわ~。兵頭さんの話で頭にソイレントシステムがちらついたので、誰か一緒に呪われて下さい(爆)
魔人図書館みたいにユーザからSS募集...というのは天下の任天堂じゃ多分無理だけど、あったらいいなあと妄想モクモク。こういうタイプのシェアードワールド的な創作物は、それこそグループSNEの時代から浴びまくっていて大好きなんだよねー(だから同人に行ったのもある>自分)。

そして、時間が長すぎて今まで見られなかったムービーを一通り見られまして、かなりシアワセになっております。タツの下腹部の星になぜかドロンパ@オバQを思い出しましたけど、多分これ年代踏み絵です(爆)。デカデカ変身したらウザそうなのになあ、もったいない。


でね、見ちゃうと言いたいことがいろいろあるわけでして。

戦闘システム周りの進化っぷりが、もうね!!!(感涙)

私がゼノに魂囚われているのは、あれだけ過去の人類遺産ゴチャ積みのクセしてちゃんと一本スジ入ったモノに仕上がっているメインストーリーにあるのは間違いがないし、そこに萌える人たちと語り合う楽しさにもあるのは勿論なのだけれども、実はこっそり戦闘システム萌えもあったりするんですわ-。
ここらへんは実際にプレイしながらの状態じゃないと、そのカタルシスを感じるのは非常に難しいよなぁ、というのと、自分の表現力の技量の限界もあって、他人に上手く伝えられた試しがないので、あまり語る機会を持たなかった面でもあるのですが。
(そういう意味だと「これはカードゲームではありません」と連呼する初芝さん@トラクレ が懐かしいバテンの方が説明しやすい、っちゅーのはある)


でも、何がいいってね、今までやりたかったこと、20年弱かけて全部キレイに入れられている感がバシバシ伝わってきたのね>バトル編のムービー。


専業回復役がパーティに必須、という、それこそD&D時代からRPGに課せられた制約に挑戦してきたゼノギから、ついに専業回復役無しで成り立つスタイルを確立していたところとか、ついにやったなあ、タイトそうだけど面白そうだなあ、という気分で見ちゃったし。

EP3のアーツツリーが、ソマブリからゼノブレに継承されているあたりで嬉しかったクチだし。
(結局ヤリコミするから、最終的に全部解放しちゃうんだけどね)

(ゼノブレで解決されていたけれど)EP2ではびみょ~な出来ぶりで、どうしてもジギー&ケイオスをベンチウォーマーにせざるを得なかったのけぞり(ひるみ)と転倒というバステ付与がきっちりハマる瞬間の快感を思うと、こりゃ楽しそうやわ~とか思ったり。

ダブルリキャスト/トリプルリキャストやオーバークロックギアに、ゼノギのギア戦ちょっと思い出しちゃってホロリとしたり。

戦闘で企業を育てていくところに、EP1のメールイベントを思い出してやっぱりホロリしたり(飛び飛びになりがちだけど、ちゃんと追いかけていくのが楽しかったなあ。それはそうとしてスギウラ證券はまた出るのか!?(笑))


ただ、装備品の多さから、アーツのセッティングといった準備段階から、結構戦闘中にやること多そうなので、私のような前知識(20年来)がない身で、ぱっと見た感だと「これ、めっちゃ難しそうじゃない?」って思われるんだろうな~。
そういう意味だと、もしかしたらCRPGも接触感染の時代になってるのかも、とか勝手に思ってます。かつてはTRPGとの対極として「C=空気感染/T=接触感染」という認識だったんですが、なんか時代は確実に変わってるように思うの。
最近じゃブラゲやアプリゲーでいろいろ乱立してはいて、入り口は無料化されていたりして、ゲーム始めるきっかけはだいぶ楽になっていそうだとは思うのだけど、片手間プレイ可能とはいえ、いくら愛つぎ込んでても、運営者の気まぐれでそれまでの愛を全否定されるのがすごく切ない気がするんですよねー(実際、Wiiのゲームの各種オンライン要素が消えた時は、採算を考えると仕方ないと思う反面、結構切なかったりはしたので)。そういう事を思うと、本を繰り返し読むようにゲーム(RPG)をする身としては、あまり手を出す気になれない私がいたりはします…。実プレイする時間があったらまた認識も違うのかもしれませんけどね。でもゲームやる時はゲームだけにのめりこみたい。映画や本に浸るように。……多分にワガママなんだろうけどね(だから8年前から積みゲーばっかりなんだよorz)

まぁ、手軽に接触感染考えるなら、ゼノブレ3DS待つか、待ちきれないならソーマブリンガー、なのかなあ。
Newニンテンドー3DS専用 ゼノブレイド 【早期購入特典】Xenoblade Special Sound Track 付ソーマブリンガー 特典 ミニサントラCD付き
(ソマブリのミニサントラ付き、まだ正規版あるの!? マジ!?)



次のドール編では、きっとゼノギとEP1で果たせなかった「人と巨大ロボの共闘」を描けたんだろうなあ、というところをワクワクして見たいです。...出来れば配信した後早いうちに(希望/金曜夜更新だとどうしても週明けまで待たなくちゃいかんのでなー主婦はツライよ)



公式サイトに載せられているプロモ全般を見ていて「(初期発表頃と違って今は)割とストーリーはあまり前面に出さないのな」というのは、今までの直前考察ワクテカ感を思い出すにちょっと物足りない感はありますが、「脚本<ホン>はいいに決まってる」っつーのは割と信者ちっくに盲目的な信頼があるのでつけるクスリはありません(爆)。文句があるならゼノ一式だけでなくゼノサガCD三部作のマシューズ×ヘルマン聴いてから言え。(腐女視点) 高橋ワールドにぴったり寄り添ってる竹田脚本は、ホント萌えです。

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