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「体験」が景色を変える ~ゲームで学ぶ“世界”~|クローズアップ現代
昨日のクロ現見ていて、つなみら再プレイしたくなって仕方ない。
特に『突っ込めイノシシ』が流れる辺り、皆が手を携える胸熱感(※曲名それじゃない)。
ゼノブレDE『つながる未来』をはじめたばかりに予測で書いたせいで、じぶんのつなみら観を縛ってしまったのはあるけれど、でも、終わってみて、その直感は間違ってなかったんだなあというのはつくづく思います。ゼノブレイド10周年!によせて~ファミ通の杉浦さんインタビューを見て思い出した事、思った事~ #Xenoblade_fes20 |翠輪堂-日記-
ゼノブレ3はさらに突っ込んだところに入りそうだけれども、どうなるのかな。楽しみ。
(1章しか終わってないのにもうDLC第三弾来てるよう。
でもイーラもちゃんと完走したいよう。
ていうかイーラも別ベクトルにそういう主題っぽいじゃーん。はよ進めたいわー)
それはそうと『This War of Mine』やってる時の小山アナの「え?ええっ?」という素の葛藤がめちゃくちゃよかったです。
年代的には普通にファミコンに育てられてきた年代とは思うけれども、そういう世代の人にもうわわと驚きを与える作品なんだなあと。
作品としてはめっちゃやりたいけれど、やりながら自分が全力落ち込むの想像つくからやりたくないタイプの作品だわ。PR -
ゼノギアスの建国記念日は日本の祝日でもあるので、立場と環境の問題で当日巡回は絶望のラムズですが、ようやく見られました。
当日なら見られたものも多かったんだろうなあ(下手するとインプレ低いの間引きされてへん?)とは思うけど、それでも少しでも後追い出来るありがたさよ。BGMには当然サントラ流しっぱなし。
ただな、鳥。いいね押すとフリーズしてホワイトアウトするのだけなんとかしたもれ。
「押したいけど押したら他の見られない…!」の葛藤が辛い。
(無料利用且つ個人情報提供最低限ユーザ故かなとも思うが、だとしたら諦めるしかないねえ)
あと、表示画面=今見てる画面だから、読んでる途中でいきなり別のツイ割り込ませて読んでたツイをぶっとばすのやめて(懇願)。美麗イラストがあああ素敵萌え語りがあああああ~!
自分が大好きで大好きで魂を鷲掴みされた作品を、祝ぐ誰かの笑顔が画面越しにかいま見えるだけで、自分の抱えている事情の絶望感とか、諦めかけてた気持ちが吹き飛ぶ。
あああ元気出るなあ、嬉しいなあっていう気持ちが沸いてくる。
自分が自由に動けなくて、誰かの好きに触れることが全然出来てなくて、だからこそ陥っていた黒雲が、さあっと晴れてくる心持ちすらする。
好きな事に関わる時間が爆減りしてて、表現する自由も修練する余裕も削られまくってて辛かったから、気持ちも落ち込んでたんだなあと自覚的になったりもする。
うん。
ゼノギアスに対するロイスはまだある。めちゃくちゃある。まだまだ好きだ。
(即日再入学書類カキカキφ(..))
じゃあなんだ。あの卒業してしまうかもって気持ち…と思って、ふと気がついた。
今のスクエニに対する感情が、とんでもなくネガティブになってるだけだ。
作品そのものじゃ、ない。
だって、公式が平気でこういうことするの、物語を大事にしてないって、今めちゃくちゃ憤ってるもん。
何度も言うけど、私にとってゼノは、ゼノギアスは【物語】だから。
その静止画、どこから持ってきたの。話の筋からしてあり得ないよね。
97-98年当時のサイトの仮絵かな? でも実際の物発売してるんだから本物に差し替えればいいのに。
ネタバレ避けにしても、もっと使えるシーンあるんじゃない?
スクショや台詞見たらそこがどこで前後シーンほぼ語れる四半世紀拗らせなめんなよ。
(さすがにサブタイは全網羅自信ないゴメン)
戦闘画面も、普通に進めてたらほぼあり得ないシチュエーションばかりじゃない?
ステータスはさておき、寄り道して再現しようと思えば出来なくもないかもしれんが(あああ検証したいぃぃぃぃい!他はともかくアヴェ兵のそれ、そのパーティじゃその場所入れるか自信ないぃぃいい!)
IPは思い出されてこそ、反復されてこそ、とも思うけど、好きすぎるから、逆にこういう扱いは辛い。
いつか、まだ出会ってない人に物語に触れる機会を作ってもらえたとしても、あの時自分が出逢った物語を歪ませられるんじゃないかって不安になる。
(実際にそういう場面も目の当たりにしてるからなお一層に)
だったらいじらないで。あの時のままの姿で遺して。
いっそのこと大事に作ってきた人たちの元に返して。
最近出逢った人や今楽しんでいる人、昔から楽しんでいる人たちを否定する意図はないし、むしろ作品や新規グッズで盛り上がってる様は見てるだけでホント頬が緩むんだけど、その人たちの笑顔を裏切らないで欲しい。
今はもう、若い人たちの盛り上がりをニコニコ縁側で見てるだけのおばあちゃんモードなのだけれども、あの楽しさは自分も体感してて本物だって知っている以上、もし踏みにじられたら…という想像に怯えるよ。
それはそうと、そんなもん公式が出してるって教えてくれたWatchImpressさんありがとう。書き直し後の公式サイト行ってなかったから気づかなかったわ。
でも【ドデスカチュチュポリンの知識 10Lv】のネタバレはお控ぇなすって。 -
リンフィ日課で頑張ってる姉姫に昨日「3やったの?」って聞かれたんで「??? 先週全然Switch触れてないぞ?(配信だって16日では?)」と今朝方見てみたらこうなってた(DLデータだけ先に来たのかな?/多分中身アンロックは明日) pic.twitter.com/EmZypaqctk
posted at 08:10:59
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今唐突に気づいたんですけど、ビッグ・ジョーの「箱さき親方」って「箱崎」…箱崎えれめんつ由来だったりします?(箱崎はザプレ作ってたソフトバンク(パブリッシング)当時の所在地) #ゼノギアス25周年 で何故突然それに思い至るか自分w
posted at 05:28:52
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相変わらずの事前投稿です。
なんか事象変異が起こったりして、でもこの日記が残っていたら、それは事故です(永劫回帰どーん!)って事で一つよろ。
休日にブログやらツイやら書けなくなって久しいので……スマヌ。
子供のアン卒(アンパンマン卒業)やプリ卒(プリキュア卒業)じゃないですが、もう子供っぽいーとか嫌いーとかになって離れたのではなく「もう自分はそんなに執着しないかな」となったコンテンツはいくつかある。
例えば6あたりのDQとか。FFだったら9以降。
好きだったものをディスるような離れ方をする人はぼちぼち見てきたけど、自分としては少なくとも一度面白いと思って追いかけてきたお話に砂掛けるほどの事はなくて。
だから卒業。
テレビで取り上げていて、ちょうど時間が合えば見たりもするけれど、多分配信系は告知見かけてもわざわざ時間取らないかなとか、その程度の、ゆるい「好き」になる感じ。
睡眠時間削ってまで時間を費やさない、そんな軽さになったもの。
そういう意味だとゼノは、もう四半世紀もずっと留年してて、ずっと自分の心の中で離さないくらいの執着がまだまだ続いているんだけれど、最近ふと気がついた。
ゼノギアスに関しては、じわりじわりと「卒業」が近づいている感がある。
描きたい二次創作はまだいくらでも沸いてくるし、ゼノコンで熾火付けられたからピアノも改めて弾きたいんだけど、何を差し置いても関わりたいか、というと、そこまでの執着や情熱はゆるゆると消えていっている気がする。
それは、新しい物語を出す気配も能力もないのに次から次へと高額グッズばかり出して、切り捨てた過去をしらばっくれ続けているスクエニのやり口に食傷気味だからかもしれない。
光田さんや田中さんや石垣さんが関わっているのだけが救いであるとはいえ、自分がゼノギアスに惹かれたのは、彼らや当時のスクウェアで揉まれて生まれ出ていた多大なる才能が渾然一体となった【ゲーム】というあの形だから。総合芸術としての【ゲーム】だったから。
それゆえにグッズだけ出されてもなー、という事で、結局2000年代以降に出たものはゼノコンBD以外はほとんど手を出せていない。ゼノコンそのものも家族の事情があって結局申し込む事すら叶わなかったし。グッズが出ても飾る場所も自由もないし、自分に何かあった時に家族に処理任せるにはフィギュアとかプラモとかはかなり大変だと思ってるから迂闊に手を出せない。
セイレーンはムイムイ文書の事を知った後でガンプラ好き旦那に見せたら「かっけえええ!」と勝手に買ってきたのでぶっちゃけタナボタ。所有者は旦那という気楽さもあり。そういう意味だとフィギュアだけを家に入れるのはちょっと無理だな~(amiiboはこっそり買う)
フィギュアヘッズとかFFBEとかシアトリズムとかあったじゃん、とも言われそうだけど、やっぱり私の中ではゼノは【物語】なのよ。物語が伴わなくて、ただキャラがお祭り的に出ているだけなのは、やっぱりなんか違う。
忘れられてないのは嬉しいなあと思いつつも、所詮は期間限定イベでしかないやん!とか、2008年の10周年の時は何もしてなかったの忘れてないからな!?なところもあったりする。(OperationRainfallが無かったらこういう事態になってないよね?とも思うし)→参照:ぼくらは「ゼノブレイド」が遊びたいんだ! 海外のJRPGファンが「オペレーション・レインフォール」を開始|ねとらぼ|2011年06月29日 09時42分|池谷勇人,ITmedia
それとは別に、ゼノって今はモノリスソフトの力であの当時描けなかった物語の果てを少しずつ見せてもらえているから、それで自分がほどよく満たされているのかもしれない。
そういう意味だと卒業というより昇華なのかもね。
次があるから縋らなくても良くなった。
『ダブルクロス』でいうところの、もうタイタスになってる状態なのかも。
前に↑このツイした時「あれ?ゼノは続いているんじゃ?」って引用リプもらったけど、『ゼノギアス』も『ゼノサーガ』も『ゼノブレイド』も、全部ゼノではあるけれど、それぞれが違う命を持った子だという意識がなんとなくある。#絶望的だが続編を待ち望んでるゲーム
高橋さんの編んだ世界観で
光田さんの奏でる音楽を風に抱いて
田中さんの描いたキャラクター達が
石垣さんの描いたメカを駆り
(もしくは石垣さんデザインの敵メカをなぎ倒し)
旧スクウェア三課の多くの方々が描いた大地を駆け抜ける
ゼノギアス pic.twitter.com/1qyAz2WFEg
— Azusa-F (@jaderings) September 4, 2019
作る環境に翻弄されながら、磨き上げられてきた別々の形。
それぞれの、生まれ出た時期の価値観をその身に宿した、あの時代にしか出せなかった作品。
その魂の輝きは同じ。でも、纏う物語は色とりどりの、もの。
つながっているようで、つながっていなくて、つながっていなくても良くって。
だから、別の、別々の物語として、ちゃんと読んであげたい気持ちが強い。
過去の作品に縛られず、外《Xeno》に飛び続ける物語を。
もしかしたらかつて描きたくて描き切れなかったものはこれだったのかも、なんて、新しいものの中にその残滓は見つけることがあるけれども、でも基本は、先の事など囚われずその時その時の全身全霊が形になったものだと思っている。
過去の物語に囚われすぎるのは受け手側の傲慢なのかもしれない、そんな恐怖に駆られることもある。
だからこそ。
もう一度ゲームを通しでやれる自由があったなら。
物語にのめり込める時を得られたならば。
自分はもう一度ゼノギアスに執着することになるのだろうか?
そしたら。
その時にまた【入学】すればいいよね、って、思ってる。
とはいえ、Switch ベタ移植来るよ言われたところで、クロノクロスのように配信だけで売られても、DLはマルチゲー優先・ソロゲーや家庭内で推してる人間が一人だけの場合はパッケ買いが原則の我が家じゃ遊べないしねー。
ニサンバグがそのまま残ってるの見て「あーマジにベタ移植なんだ」ってニヨニヨする機会を捨てるのは惜しいんだが。参照:Xenogears_バグ|うぐぺ
それよりも。
PSが動くうちに、またやりたい。やれる人生になりたい。
取り貯めたセーブデータも半分飛んじゃってるから、せめて若絡みイベ前は取り戻したい。
* * *
とても25周年合わせのおめ投稿ぽくないですが、ここ数年、自分の事がやれなさすぎて、いろいろ絶望しかかってるせいだと思います。
元気出したいなー。それにはゲームしたいなーなーなー。
(ハタラキカタカイカクで中学生が毎日13時に帰宅する世界線に住んでいる身には贅沢すぎる望みです。ええ、わかってるんよ)
あ、でも、過去絵はいくつか発掘しているから、ツイ向けに加工出来たらUPするくらいはやるよ~。
ちょっと元気出します。うん。