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翠輪堂-日記-

文月あずさ@JADERINGSもしくはAzusa-Fの趣味的日常記録/不定期更新

2026年1月10日(土)のタイッツー
2026/1/10 6:50:08
今日の『題名のない音楽会』の話、お忙しいのかもしれないけれど、ご本人からも所属会社からも(珍しく)宣伝ないので、あの作品は本当にあの方のものではなくあっちの会社のものなんだなあと痛感する。


ホントはゼノっ子の繋がりの多い青空で呟こうと思ったんだが、タブレットからだとぐるんぐるん止まらないので、なんか禁則事項ですされてる?と思ってタイツ側投稿に切り替えた。今までの投稿は有線&OS最新なPCだけど今は泥9の古参タブレットからだから、なのもあるのかな? やはり国内サービスしか勝たん。
(「東京には空がない、と言う」なんて智恵子抄が頭をよぎったりするがさておき)
一応、コンサートアルバム発売には後日プロキの方には言及があったのだけど…。
(ああそうかコンサートとアルバム宣伝であの曲チョイスだったんだ、というのをすっかり忘れてましてん)

その時ふと思ったのさ。
「私はもしかしたら音楽を【言葉】で聴いているんじゃなかろうか」って。

もっとひどく言ってしまえばラーメンハゲの言葉と等しい。
「情報を食っている」ってアレ。

でも、オルゴールであることを強いられてピアノを弾く人形であった私が、音楽を楽しいと初めて思ったのは、DQ3のほこらの曲を耳コピして弾いていた時に「DQ弾けるの!?すげえ!」と言ってくれたクラスメイトの言葉だった。多分その瞬間から、私にとっての音楽は言葉で、ゲームの物語を乗せた旋律こそが私の音楽になった。

物語から離れたゲーム音楽が音楽ただそれとして評価されるのは、『椿姫』の『乾杯の歌』や『アイーダ』の『凱旋行進曲』のように物語とは別の場面に切り出されるのと同様で、きっと芸術としては素敵な進化なのだけれども。
でも、私にとって、物語から離れたゲーム音楽は、なんだか物足りなく感じられてしまう。
物語をも飲み込んで奏でられるのがゲーム音楽の真髄なのではないかと、そう思うのだ。

スクウェア(スクエニ)のサントラ宣伝、となると、20年前の話で恐縮だが、現地で聞いたTIGRAFスクウェアの世界の悲劇がどうしても脳裏によぎってしまう……(『素敵だね』の画面でフィドルDEチョコボ&FM4の話でゴールドソーサーのピアノアレンジCDをBGMとして垂れ流すのはちょっと……ね……)
もう少し物語大事にしてよう~と未だに思うのだから、やっぱり私はゲーム音楽を物語で聞いてるんだよなー。

幸い、先日の『題名のない音楽会』は、ちゃんと元作を尊重したアレンジャーさんによる素敵なアレンジだったのでよかったわ~。
ゲームBGMが、あたかも普通の楽曲のように作曲家の手を離れてアレンジメントされる時、こういうリスペクツに満ちたアレンジをされるのは本当にありがたいよね。
そして、こういう場面で当たり障りのないコメントが出せる伊集院さん本当に貴重……。でも現状、レトロゲーに造詣の深い他のテレビ側の人材がいないんだよなあ……(課長とカズレーザーといのっち位じゃないかい?)

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